一点突破

 いつの間にか心の病気は多くのパターンに分けられ、おのおのに病名がついている。何々障害と、最後に障害と言う文字がつきやすいので、何か壊れているような印象を持つ。あたかも電波障害でテレビが映らなくなっているようで、印象が悪い。  僕のところにやってくる心の相談者は、おおむねありとあらゆる病院を回ってきた人たちだから、自分の病名をよく知っている。病名を付けられているから、当然本人や家族は病気だと思っている。漢方は運のいいことに、病名にとらわれないところがあるから、その人が今苦しんでいる症状に対して薬を選択する。だからこんなに苦しんでいる人にも効くのかと思うようなことが多い。  不安を訴えてくる人が多いが、一体不安を感じない人がいるのだろうかと思う。不安を感じておびえて身動きが取れなくなったら病気。不安を感じても身動きが取れれば健全。そんな線引きって出来るものなのだろうか。あることは出来て、あることは不安で出来ない。これはどちらに属するの。  適応障害?アホノミクスが掃除大臣になっている。これって究極の適応障害ではないの?だからこんな診断名を付けられても動じることはない。今や1億総適応障害の時代だろう。だいたいこの僕が薬剤師なんてこれまたかなりの適応障害だ。薬科大学に入学して1ヶ月目で悟った。ここは合ってないと。それから一番適応しているところで5年間過ごした。銀色に輝く小さな玉が、けたたましい音楽とタバコの煙の中を舞う店は、何もかも忘れて集中できる至福の居場所だった。  僕自身もそうだったが、こうした諸々の新しい病名でジャンル分けされている人達は、もう一点突破しかない。僕ら凡人が劣っているのは当たり前。せめて人並みなところを見つけて、そこだけをよりどころに行動すればいい。誰にも負けないところなどないから、せいぜい誰よりも好きな、いやいやこれでもまだ大袈裟すぎる、単に好きなところに注力し、そこから周りを眺めればいい。すると意外と周りの山も低いことに気がつくだろう。僕らは富士山ではなく、名もない丘だ。それでも木々は生い茂り、動物たちは跳ね回り、鳥は飛ぶ。