習性

 戦後まもなく父が牛窓に来て薬局を開いた。それは再婚した祖母が牛窓に嫁いでいたからだ。今朝、開店以来の客だという女性が亡くなったと親類の方から電話があった。開店してまもなくの馴染みだから、75年間ヤマト薬局を利用してくれたことになる。当方で言えば3代にあたる。  その女性は牛窓の方ではないが、毎週必ず同じ時間帯のバスでやって来て、僕のところで用事を済ました後、商店を回り買い物をしてから帰っていた。隣町の人だが、牛窓が栄えていた頃の習性から抜けられなかったのかもしれない。ある宗教の熱心な信者?で選挙があれば必ず頼まれた。僕の実際の投票行動より、選挙の応援を熱心にしているかどうかの評価のほうが大切だったのだと思う。選挙が済むと何事もなかったかのように一消費者に戻る。  その女性は恐らく生涯で医者にかかったことがないのではないか。元々元気と言うより用心深かった。病気になったときの為に、色々な漢方薬を作って保管しておく。少し不便なところに住んでいたから、いざと言うときのためでもある。ところが半年くらい経つと、ビニール袋に幾種類かの漢方薬をいれて持ってきて、「これはまだ飲めるかな?」と僕に点検させる。冷凍庫で保管してもらっていれば何年でも持つのだが、何故かそれをしない。だからまだまだ十分飲める薬もあればと、もう捨てたほうがいい薬もある。もったいないなと思いながら次なる薬を作ることも多かった。ところが薬に手をつけていることは滅多になかった。持薬として飲んでもらっていた薬(筋骨を強くする材料)は2つあるが、結局治療薬と言うものはほとんど飲む必要が無かった。  その女性がつい1週間前にいつものようにやって来た。僕は急に歳をとったように見えた。80歳も半分くらい過ぎているからそう見えても不思議ではなかったのだが、急にふけたように感じた。そして何故かしらないが、半年くらい前から長年飲み続けてきた筋骨のための天然薬を飲んでいないことが気になった。ただし、薬局は実費だから薬をこちらから売りつけることはしない。求められたものだけ出す習慣になっているから「あの栄養剤どうしたの?止めたの?」とは聞けなかった。あの時勇気を出して尋ねて、筋骨の薬をもっと続けていればまだまだ元気でいてもらえただろうかと考えてしまう。  薬のことなど何も勉強しなかった薬剤師を当時多くの人たちに育ててもらった。その中の1人がまた亡くなった。僕が色々な勉強会に出かけ得た知識を、疑いながらもた試させてくれた人達だ。10年くらい待ってもらったが、その後は田舎に暮らしている事が、こと薬に関してはハンディーにならない程度には貢献できるようになった。  「夜の間に誰にもわからない間に亡くなった」いい亡くなり方だが、もう少し長生きできたのにと思う気持ちもある。複雑な気持ちで、朝一番の電話を受けた。