隣人

 受話器をとると聞きなれた人懐っこい声で「風邪を引いてしまったみたいで、鼻水が止まらないんです。鼻水が止まる薬送ってもらえますか?」と一気に用事を伝える。それで薬を選択するようなら素人だ。鼻水が4日も止まらない。抗ヒスタミン剤も飲んでいる。そこで僕は「鼻水の色は?」と尋ねると「黄色です」と言う。「それは鼻水ではなく、鼻汁に近いのではないの?」と聞き返すと、「そう言われればそうですね」とあけっらかんとして言う。「1週間分くらいですかね?」僕に作ってもらう漢方薬の期間まで考える。「恐らく副鼻腔炎だから5日分でいいんじゃないの」まるで店頭での会話だ。  そうまるで店頭での会話を5年以上続けている。実際に店頭に突如としてやってきたのは5年くらい前だ。隣の貸家に越してきた。変則3世代の変わった組み合わせだったが、もっと変わっていたのは、恐らく日本でもっとも難しい大学を出ているのに、会話の中にそれが出てこない。僕も風の噂くらいで聞いたが、今だ話題に出したこともない。見るからに頭がよさそうな顔はしていない、どちらかと言うと愛嬌で知性がないのををごまかしているくらいだ。  華の都大東京から人口7000人くらいの過疎地に引っ越してきて、隣が薬局で、それが意外にも頼りがいがあったら・・・・・以下のようになる。  何かあると必ず漢方薬で治してくださいと言ってやって来た。今まで漢方薬など飲んだことがなかったのに、なにかのトラブルを偶然漢方薬で治したのをきっかけに、漢方薬のファンになった。それからは何でも漢方だが、ヤマト薬局特製の現代薬の治療薬(薬局製剤)も気に入って、ほとんどが我が家の手作りの薬で家族の健康を守っている。実際今日も漢方薬の他に、風邪薬3号と鎮痛薬8号とアレルギー剤も送った。昨年新たな仕事を求めてある研究所に移った。岡山市の住所に薬を送っていた。必要な薬があると電話を掛けてきて、その都度送った。当然岡山市だから薬局もドラッグも病院も一杯ある。だけど何故かヤマト薬局。まるで店頭のようにいつも話をした。  そして今日の電話。最後に「そう言えば私、東京で暮らしているんです」まるで店頭の話のように気楽に言う。そちらに送ってくれと言うことだが、もともとは彼女の本拠地。天と地の違いがあるところで暮らして、何を彼女は得ただろう。隠しているが知的な女性だから笑顔の下で一杯感じ取ったものがあるだろう。牛窓の地で暮らしたことが、彼女自身と彼女の周りの人たちにとって、価値あるものだったといつか言ってほしい。気持ちのよい隣人だったから。