手先

 夜、薬局で患者さん達にメールの返事を書いていたら、3階から次女が降りてきた。FAXを使わせてくれとのことだった。使い方を話しているときに、カタカナで日本人名、かの国の言葉で次女三女の名前が書いてあるのを見た。別に何のためのものか気にならなかったので、自分の机に戻り作業を続けていたら、向こうから話しかけてきた。  なんでもここで法律が変わって、かの国の言葉でオートバイの免許が取れるようになったらしい。かの国はオートバイが道路を埋め尽くすことで有名なくらいだから、オートバイに乗る事等お手の物だ。ところが日本で免許をもらおうとすれば筆記試験と言う障壁を乗り越えなければならない。受験料の高さから何度もチャレンジ出来るものではなく、次女三女も結局は諦めていた。ところがここで法律が変わって母国語で取れることになったからもうほとんどのかの国の人達は免許を取るだろう。公共の交通機関を利用するしかなかった彼らだから、特に田舎に来た人はかなり不便だった。これでその不便のほとんどは解消される。オートバイさえあれば何処までも行く彼らだから。  ところが僕は逆に大いなる不安を抱えた。と言うのはかの国の人たちの交通モラルをよく知っているからだ。彼らは交通違反をすると、その場で警察官に賄賂を渡して、すぐに立ち去っていくのだそうだ。こう書くと彼らが悪いように思えるが実際には警察官の収入の手段として交通違反をつかまえるのだそうだ。相場は日本円にして3000円位だと言う。経済的な格差を考慮すると相当に見入りのよい話だ。そう言ったところの人間が僕は保険に入るだろうかと心配している。恐らくそのお金は彼らにとってはとんでもない無駄なお金に映るのではないか。極端なことを言えば、事故を起こしたら国に逃げ帰ればすむのではないか。今の時代日本人でも、任意保険に入れない人は沢山いる。入らない人なのか入れない人なのか分からないが、そこそこの経済力と倫理観があれば必ず入るものだが、今の日本ではその片一方、或いは両方を持っていない人が多い。だから日本でもそんな人に交通事故を起こされたら、かの国の人と同じことなのだ。だからかの国の人たちを一概に、責める事は出来ないが、少なくとも最近怒涛のように押し寄せている人たちは嘗てのように選別された人たちではない。お金に執着心が強すぎて手に負えなかった忠獄人からシフトされてきているが、いずれ同じ道を通るのは目に見えている。  例えば、いつか幼いかの国の子供が殺された関東の町には、かの国の人が2000人暮らしていると言う。アホノミクスは大企業の手先だから驚くほど外国人を入れている。今やドイツより多いとも言われている。奴等はそうした人たちと隣近所になることは決してないから、安い給料で働いてくれる人間でさえあればいい。中東から来た人間の集団が、麻薬を売りさばく集団になっていると同じようなことが早晩起こる。これらは僕の勝手な想像ではない。かの国の人間自身が心配しているのだ。一緒に暮らしたくないような人間が続々とお金を求めて日本にやって来ていると言う。今度からは介護の分野にもまるで経験がない人間を大量に招き入れるらしい。超右を名乗るアホノミクスは、思想など持たない単なる企業の手先でしかないことがよく分かる。