退院

 盲腸で入院したかの国の女性を見舞った。昨日高松の和太鼓コンサートの帰り道、見舞いを希望した7人を連れて仰々しかったが、よい機会だった。  新築された市民病院に初めて入った。今まで訪ねた事がある大きな病院を少しコンパクトにした趣で、何となくそれらしく見えた。新築前は、どうせスタッフを変えないとまた大赤字だと言われていたが、その後の経営状態はわからない。ただ体裁は整えられていた。  その女性が入っていたのは個室だった。これにはまず驚いた。言葉が分からないから、日本人と同室だったら気をつかうだろうなと心配していたが、一瞬にしてその懸念は払拭された。トイレも病室に備えられていて、今の病室はそんなに居心地が悪くないのだと再認識した。  僕らが訪ねたときには、既に2人のかの国の同僚がいて、計11人が狭い部屋にいたことになる。点滴のチューブが手の血管につながれていたが、表情も明るかった。ただ笑うと傷口が痛むらしくて、感情を押し殺していた。  日本語が全く出来ないから、日本語が辛うじて出来る仲間が通訳をしてくれたが、本当の通訳がいなかったので、僕も妻も皆が楽しそうに会話をするのを聞いていた。僕が疲れた顔をしていたのを見て、同行しなかった1人の女性が僕の肩を揉んでくれ始めた。かの国の人は家庭でよくマッサージをしてあげるのか上手だ。見舞いに行った僕が見舞いをされている感じで恐縮だが、その幸せな気分は失うわけに行かない。お言葉に甘えて疲れて手を止めるまで身を任せていた・・・・はずだが、丁度そこに会社のチームリーダーと通訳が入ってきた。その日は福山で日本語1級試験があり、男性のリーダーが車で連れて行ってくれていたみたいだ。その帰りを連れてきてくれたことになる。僕は5年くらい前からかの国の女性たちをお世話する許可を工場長からもらっているが、直属の若い上司に会うのは初めてだった。いい機会だから入院している女性の予後をよくお願いした。  暫くして通訳が「それでは2人を宜しくお願いします」と言って、ふたりをリーダーにゆだねた。寮まで送ってもらうよう依頼したみたいだ。通訳は残ったが、僕と妻の車では連れてきた7人以外を乗せることは出来ない。そのことを伝えると通訳は、入院している女性のために朝まで付いておくと言った。実は入院してから2人の通訳が交互にソファーで寝泊りしているらしい。これには感動した。会社の指示か本人達の自発的な行為か聞くことができなかったが、いずれにしてもすばらしいことだ。異国の地で病気になり、さぞ心細いと思うが、仲間に助けられてけなげに笑顔を振りまく姿に心が痛んだ。入院費とか、仕事を休んでいる間の給料とか知りたいことはあるが、とり合えず元気で退院して欲しい。