感性

 確かにそう言われれば、微妙に違うから、迷って二人で考えた。  2年半前に、初めてお母さんに連れられて過敏性腸症候群の相談に来た時はさすがに会っていると思うが、記憶がない。と言うのはよく効いたから、それ以降はお母さんだけがやって来た。それも体調を崩した時だけ。何の話の延長だったか忘れたが「息子さんは繊細な子なんでしょう?」と僕が言うと、お母さんは首をひねって「繊細ですかね?」と言ったまま言葉が続かなかった。そして暫くしてから「生真面目ではあるんですけれど」と言った。お母さんには繊細と言う評価はピンと来なかったみたいだ。どこか違和感を感じたのだろう。そこで行き着いた言葉が生真面目だった。どちらが的を射ているかと言うともちろんお母さんだ。僕は多くの過敏性腸症候群のお子さんを知っているから、一般論で繊細と表現した。繊細と言う言葉の奥に、他意が混ざる余地は少ないと思うが、生真面目の奥には何か別のニュアンスも潜んでいそうだ。お母さんは恐らくその隠れたもう1つの意味を含めて表現したのだと思う。生真面目で何が悪いと言いたいくらいだが、もう少しおおらかにと言う希望が隠されているに違いない。あまりにも杓子定規だと自分も他人も傷つけてしまう可能性をお母さんは気がついているのだ。  繊細と生真面目の意味の差をとっさに答えるのは難しいと思う。こうして文字で表すと、そしてじっくり考えると分かるが、会話の中に出てきたら、日本人の肌に染み付いた印象でしか分からない。理論よりニュアンスで理解するしかない。手触りや舌触りのように。ただ僕の感性はどちらかと言うと手触りや舌触りよりも差し障りだ。