加川良

 今朝の毎日新聞に、僕がフォークソングを歌い始めるきっかけになった歌手、加川良の写真が大きく載っていた。訃報のコーナーだったと思う。写真の下に文章が添えられていて、亡くなるまでの経緯や最近の活躍ぶりが紹介されていた。僕の青春時代を重ねながら読んだのだが、すんなりと全て受け入れられたのは、書いた人が、これまた僕の大好きな大塚まさじだったからだろう。彼らプロの世界では、そこに加川良がいないということ自体が受け入れられないみたいだ。それだけ存在感があったのだろう。歌もよかったが、歌唱力は抜群で、彼を越える歌唱力のある人はあまり知らない。  大塚まさじが明かしたエピソードに、こんなのがある。僕は、加川良フォークソングを始めたと書いたが、もっと厳密に言うと「教訓Ⅰ」と言う唄を初めて聴いたときの衝撃だ。その「教訓Ⅰ」を彼は最近新曲だといって歌っていたらしい。若い人にはそれが嘘だとは分からない。僕ら世代には、それが強烈な皮肉だと分かる。何故ならその歌ができた1971年より、今こそ歌いたい唄だからだ。若者にとってはなおさらだ。以下にその教訓Ⅰをコピーして貼り付けておくが、是非、ユーチューブで聴いてほしい。そして1970年代の多くの若者が、彼と考えを共有していたという事実も知ってほしい。今の若者が国と言うとてつもない、分けの分からない、いやいや簡単だ、実際には陛下よりえらくなりたいアホノミクスの思い通りに操られる姿など見たくはないだろう。そんな屈辱は早いうちに晴らしたほうがいい。誰もが抵抗できなくなる前に。

 命はひとつ 人生は1回  だから 命をすてないようにネ  あわてると つい フラフラと  御国のためなのと 言われるとネ  青くなって しりごみなさい  にげなさい かくれなさい

 御国は俺達 死んだとて  ずっと後まで 残りますヨネ  失礼しましたで 終るだけ  命の スペアは ありませんヨ  青くなって しりごみなさい  にげなさい かくれなさい

 命をすてて 男になれと  言われた時には ふるえましょうヨネ  そうよ 私しゃ 女で結構  女のくさったので かまいませんよ  青くなって しりごみなさい  にげなさい かくれなさい

 死んで神様と 言われるよりも  生きてバカだと いわれましょうヨネ  きれいごと ならべられた時も  この命を すてないようにネ  青くなって しりごみなさい  にげなさい かくれなさい

 青くなって しりごみなさい  にげなさい かくれなさい

 青くなって しりごみなさい  にげなさい かくれなさい