東三国

 「こりゃ住めん(これでは住む事が出来ない)」まだ新大阪の駅ではそうは思わなかった。ただ、地下鉄御堂筋線で一駅、東三国と言う駅に降り立ったときにはそう感じた。では何がそう思わせたのだろう。  勉強会の会場のホテルは、駅から徒歩2分と案内書に書いてあった。地下鉄なのに何故か2階建ての駅で、見晴らしがいいから、降り立ったホームからそのホテルの看板を探した。高いビルが片側2車線の道路を挟んでまるで遠近法のように連なっていて、辛うじて看板を見つけることが出来た。高架橋をはさんで2車線ずつだから、結構な道幅になる。  狙いを定めて階段を降り、その看板方面の出口から出ると不思議な光景が広がっている。さっき2階から目の前に、と言うことはその道路も2階の高さってことだが、片側2車線道路が広がっていたのに、下に降りても片側2車線道路広がっているのだ。でも走っている車のスピードが全然違う。橋と同じ高さの道路はまるで高速道路のようにスピードを出した車が走っているが、階下に降りると、ゆっくりと走っている。それはそうだろう、信号機も横断歩道もあるから。となると駅を挟んで、それも上下左右、8車線の道路と言うことになる。その道路をひっきりなしに車が通る。まだ講演時間に間があったので、会場の付近を歩いてみた。岡山市だと滅多にないような高層のマンションが連なっていて切れ間がない。新大阪から一駅だから便利でマンションが林立したのだろう。道を歩いていたら、車の騒音に混じって空から大きな音が聞こえた。見上げると、飛行機がかなり低いところを飛んでいた。滅多に見える光景ではない。伊丹空港が近いことが分かる。飛び上がっているのか、着陸態勢に入っているのか分からないが、事故を起こしたら大惨事になることは間違いない。  僕は時間の経過とともにすこぶる不愉快になった。耐え難い騒音なのだ。上り下りをあわせると4分に1度電車が頭上を通過し、8車線の道路を車が埋める。おまけに頭上では飛行機。鳥の声が1日中聞こえる牛窓とは天地の差だ。その上緑が景色の中にない。何処でどの方角を見ても緑が目に入らないところなどない牛窓とはこれまた対照的だ。  青春時代、阪大を落ちて岐阜に収まり、就職は京都の製薬会社を断り牛窓に帰り、何となく大都会とは縁がなかったが、それは僕にとっては惠だったような気がした。この年齢になって自然のすばらしさを肌で感じられるようになったが、それはその前の何十年の牛窓での生活が貢献しているのだと思う。阪大に合格し、京都で就職していたら、僕は恐らく不自然を自然と勘違いしながら生きてきただろう。何で測り、何で表現できるのか分からないが、こうした価値観を育んでくれた田舎生活に今となっては感謝だ。  東三国の道路を30分くらい目的もなく歩いたが、「こりゃ住めん」は確信に変わった。