責任

 ひょっとしたら、責任の一端は僕にあるかもしれない。言うんじゃなかった「おいしい」と。  あの時確かに、日本のポン酢あたりのたれをかけたから美味しかった。これがあちらが用意してくれていたたれで食べていたら、心からの美味しい顔は出来なかったと思う。あちらの国の代表的な料理かどうか知らないが、生春巻きなるものを節目節目に作ってくれる。そう言ったときの定番なのだろうか、あのたれさえつけなければ美味しい。ただし、それにお金を払って日本人が食べに行くかと言うと問題は別だ。  かの国の女性たちとは、3つのグループと付き合っている。今日の登場人物は介護士のグループだ。日本に介護士としてやって来ている人たちは向こうでは元々は看護師だ。向こうの医療が今だ賄賂で成り立っていることに嫌気がさしていることと、給料が日本で介護士で働いたほうがはるかに高いこと、この2点で日本に来ることを選択している。ところが介護の仕事はかなり肉体的にきつい。多くの従事者が腰や首を痛めている。彼女もまた最近腰を痛めた。ごまかしながら働いていたが、腰が悲鳴を上げ始めた。そこで見切りをつけようとしていたことは知っている。ところが、先日会いたいと言われて話を聞いてみると「もう体がきついから仕事を辞めて、名古屋にいる友人と食べ物のお店を開く」と言った。名古屋の友人も同じように看護師で来日していて、店を開くのが日本でか、かの国でかわからなかったので尋ねると、なんと日本で開きたいという。  日本の飲食店のことのどれくらいを知っているか分からないが、なんて度胸があるんだと思った。そしてなんて生活力があるんだと思った。その道の素人で僕の勘がどの程度の確率で中るのか分からないが、どう贔屓目で考えても、生計を立てられるほど生春巻きを食べてくれる人がいるとは思えない。嬉々として将来の夢を語ってくれるが、僕のあの時の苦し紛れの「おいしい」が彼女の道を誤ませてしまうのではないと気になった。