質問

 今まで、延べにしたら50人以上、いや100人近くのかの国の青年と話をしたが、こんな質問を受けたのは初めてだ。日本語を全く話せないのに、僕が腰掛けたソファーの対面に座り、積極的に通訳を介して話しかけてくる。そこで出た質問が「どうしてお父さんは、私たちの国の人間に親切にしてくれるのですか?」だった。  このことに関してはまるで用意されたような答えを僕は持っている。それは、最初に来たかの国の女性たちが本当に善人ばかりだったからだ。それまで全く知識がなかった国の人達だったが、通訳を介しての会話で、彼女達の純朴さが伝わってきた。経済発展していないから当然のことかもしれないが、それが僕にはとても新鮮に思えた。そうした感動が今だ続いていて親切を止めれない。  ただ昨夜こう答えても、何となくしっくり来るものがないことに薄々気がついていた。そしてこれこそが本質だと思えることに行き着いた。僕は働いている人が好きなのだ。それも懸命に働いていると分かるようならなおさらだ。同じ地味な作業着を着、同じ帽子をかぶり、一様にマスクをかけて1列になって自転車をこいで工場に向かっている姿が好きだったのだ。工場が少なく若者が少ない牛窓では滅多に見られない光景が展開され、それを毎朝目撃することが好きだった。今日、寮に行ったときその答えを改めて伝えた。すると通訳が「本当にこの工場に来ている人はまじめですよ。〇〇〇〇工場で選抜されてきていますから」と保証してくれた。本人が言うのだから間違いもないだろうし、周知の事実でもある。  今日の午前中、ある用事で岡山市に行っていたが、時間をもてあまして結構歩いてみた。すると恐らくかの国の若者だろう人たちに多く会った。ビックカメラに入るとやたら中国語でアナウンスが流れていたが、かの国の人たちが爆買する姿はさすがに見たことはない。ただ、町中には沢山いた。日本人が敬遠する分野を担当しているから今や欠かせない人材なのかもしれないが、いずれアメリカやヨーロッパのように煙たがられる存在になるだろう。下手をすると日本人に取って代わるくらいの存在感になるだろうから。  僕が本当に見たいのは、日本の若者達が懸命に働いている姿なのだ。