停車場

 日曜日の夕方、福山から乗った電車はそのまま赤穂線に入り邑久駅まで乗り換えることなく帰れる。岡山駅で多くの人が降り、また多くの人が乗ってきた。比較的乗車口から近い席に腰掛けていたので、おそらく並んでいた先頭の人が僕の正面に腰掛けたのだろう、腰かけられるなら何処でもいいと言う迫力があった。  僕とその女性のどちらが早く気が付いたか分からないが、なんと最近薬局に来始めた女性だった。すぐにお互い分かったから挨拶をして、悲しい習性で僕は「最近調子はどう?」と尋ねてしまった。相手は問われたから調子を教えてくれたが、すぐに答えを僕はさえぎった。人前と言うか人中であるってことに気がついたのだ。おそらくなんら具体的な症状を表す言葉には達していなかったから、周囲の人に何も察知されることはなかったと思うが、危ないところだった。もっとも、運よくボックスのあとの残り二人はかの国の女性で日本語は分からないと言うこともあったし。  彼女は景色の中に溶け込んでいた。最初薬局に来たときには笑顔を失っていて、まるで表情がなかった。喜怒哀楽の内、哀だけが残っていた。しかし電車の座席に腰をかけ、うつむいて携帯電話を操る姿は、どこにでもある社会の一員を映す姿だ。誰にも彼女が心のトラブルを抱えているなどとは想像出来まい。  その日僕は車を選択せずに、福山、尾道を電車で訪ねた。車中で多くの人を見た。多くの若者、多くの老人、多くの子供、多くの男性、多くの女性、そして多くの外国人。見た目も、かもし出す雰囲気も、言葉も違う。それぞれが何かを抱え、何かを夢み、何かを信じ生きているんだと感じた。  ただ、僕は本当の彼女を知っている。いくら景色に溶け込み、いくら景色のある部分を受け持っても、彼女はついこの前まで笑いを忘れていた。僕の前で涙を流してもいいのに、涙も忘れていた。上司をののしればよかったのに怒りも忘れていた。景色に紛れて悲しみは増幅し、取り残され、孤立し、やがて・・・・停車場に消えていく。