奴隷制

 「本人の責任だろう、裁判でも何でもやればいい」と言われて、福島から脱出している人たちは耐えられるのだろうか。はい、耐えられる。事故後の避難者を見ていて、なんて心優しいのだろうといつも感じる。残っている人たちはなおさらだ。  僕は今度のニュースで初めて嫌村復興相と言うのを見たが、他の大臣と同じように阿呆顔をしている。こんな人間に復興を任そうなんて国民は人がよすぎる。もっとも復興大臣と言うのは東電を復興するためのもので、福島を復興するためのものではない。だからいくら被爆しようが安心だから帰れといって、東電をはじめとする原子力村を守る。  家や土地や仕事を奪われ、家族がバラバラになる。それでも文句を言わずに耐えている。僕には分からない。正義と言うものが行われるなら、少なくとも原発を推進した痔民党や金平糖や眠深党の告解議員たちは死んでいるものは仕方ないが、生きているものは監獄行きだろう。盗人の首領は勿論打ち首獄門だ。果たしてこれだけの危害を及ぼした人間たちが罪に問われないなんてことがこの世にあるのだろうか。戦争犯罪人が罪に問われないことがあるのだろうかと言う問いと同じだ。  心優しい国民のおかげで、いや臆病な国民のおかげでアホノミクス一派はやりたい放題。僕達世代は幸運にも戦争を知らずに暮らして来れたが、これから先は分からない。攻めてくるか来ないか分からないような敵国より先に、国民は思いあがった奴らやその太鼓もちに攻められている。このままだとあいつらのお友達以外は奴隷制復活だ。