謝意

 ストレスがかかると、急に腹痛がし冷や汗を流してトイレで倒れる。そして慌てた家族が救急車を呼ぶ。病院に行って手当てをしてもらうと回復し帰ってくる。そうした若い女性を二人知っている。不思議とどちらも母親が自分の漢方薬をとりに来たついでに「実は娘が・・・・」と、あたかもついでみたいな感じで相談された。そして偶然、どちらのお嬢さんもすこぶる元気になってもらい、片やヘルパー、片や金融機関の職員として、この春社会に出る。つい最近その1人のお嬢さんが「ヤマト薬局が田舎にあるのはもったいない」と言ってくれたそうだ。パニックで倒れそうになっていたお嬢さんが卒業旅行で外国に行ったり、イベントで国内を飛び回ったり、それなりに貢献出来ているから、評価してくれたのだと思う。  「じゃあ僕もやはり大志を抱いて都会に薬局を出そう!」とは思わない。薬局の前を今の何十倍、何百倍の人が通るのか知らないが、誰か分からないような人に今と同じような接し方は出来ないだろう。内面も外見も全く飾らずに、決して媚びず、誰にも平等に接する。僕にとって一番大切なそれらのルールを維持できるだろうか。まさか僕が相手によって言葉遣いを変えたり、媚びた笑顔を無理やり作ったり、お世辞を言ったりはしないが、暗黙のうちにそれらを要求する人が来ない保証は無い。僕が僕でなくなるような代償を払ってまで得るものは無い。僕と全く同じとは言わないが、そこそこ似ている人たちのお役に立てれば心は満たされる。どれだけ多くの人より、どれだけより善い人を・・・のほうが心は満たされる。病気の話をしながらでも、お互いが楽しくないと意味がない。  僕の薬局を利用してくれる人達は、僕の薬局が田舎にあったから会えた人達ばかりだ。田舎で70年以上小さな薬局が存続できたのは、嘘をつかなかったからだと思う。潮で汚れ、土で腰を折り、懸命に働いている人たちを毎日何人も見てきたから、普通の人たちの営みに自然と感謝できる。無意識にまで昇華したその人達への謝意が、天井からいつも僕を見下ろしてくれている。