筋力

 毎日平凡に暮らしているのに、この憂鬱さは何処からやってくるのだろう。それは恐らく目に飛び込んでくる「思いあがり人間」のあまりにも多すぎることによるのではないか。ニュースをテレビで見る時などその極みだ。そんな人間ばかりが目に付く。  北の将軍様が兄を殺して罪に問われないのは、それこそ何様かと思うくらいの思いあがりなのだろうが、その事で多くのおこぼれを頂戴する輩が一杯いるのだろう。だからまだ彼は生きている。これは北の国の特有の景色ではない。  幼稚園で教育勅語を唱えさせるような人間は、自身を何様と思っているのだろう。特別選ばれた人?高貴な人?他者を導く存在?いやいや他者を従属させることが出来る力を持った人間?いくら法律を犯しても起訴もされない官僚をあごで使える人間?恐らく東大あたりを卒業して官僚になった人間に、しどろもどろの答弁をさせられる実力者?本人の心のうちはどれに近いのだろう。僕や僕の漢方薬を飲んでくれている人のほとんどが「思い下がり」人間だから、あの種の人間の心の中は分からないのだ。  類は友を呼ぶ。同じ穴の狢。責められるとやたら早口になり、むくんだ顔を充血させ、しどろもどろのアホノミクスは、もし関与が証明されれば議員も辞めると言っていた。是非証明するものを探し出して欲しい。アホコミがアメリカと同じように信頼されないものになり下がるかどうかの瀬戸際だ。  日本人は変わったのか。昔のままなのか。どちらにせよ、今の日本人の精神など自慢は出来ないだろう。強い奴にめっぽう弱く、弱い奴にめっぽう強い。昔のように紙切れ一枚で命を捨てさせられるような時代が来そうだ。自分で手を下せないような年寄りが若者をあごで使う。若者はその筋力を年寄りに差し出してはいけない。