価値

ある女性のお嬢さんが看護学校に通っている。お母さんがヤマト薬局特製?のインフルエンザにかかりにくい漢方薬を買いにきた。理由は、クラス中がインフルエンザにかかって順番で学校を休んでいると言うのだ。お嬢さんもそろそろ順番が来そうなんだとか。そこで買い物に来ていたときに見ていたインフルエンザ予防薬を思い出して娘に飲ませたいと言ってとりに来た。お母さんは「インフルエンザの予防注射をみんなしているんですけれどねえ」と言っていたが、アルバイトで病院の仕事をするらしいから予防注射は必須なのだろう。僕のいつもの持論で、インフルエンザに上手にかかって上手に治せばいいと思うのだが、それでは製薬会社にがうまみがないのだろう。彼らにとっては、予防接種がことごとく外れて、インフルエンザの薬を飲んでもらうのが最良のパターンだ。僕らはいつの間にか、製薬会社の為にインフルエンザで振り回されている。  そう言えば、次女三女もクラス総倒れの中、何事もなさそうに通っている。こちらも介護の専門学校に通っているが、看護師の学校ほど厳密な管理はないらしい。僕らと、薬局と言う同じ空間にいるから毎日ウイルスにさらされ元気なのかもしれない。そう言えば昨夜市役所に勤めている男性が閉店ぎりぎりに入ってきた。なんでも市役所でインフルエンザがおおはやりになり、多くの職員が休んでいるらしい。いつものように予防の漢方薬と万が一移されたときの為にヤマト薬局製の風邪薬14号(これは3号より強い)を持って帰った。  僕の薬局を利用する人の多くは、自分で何とかする派が多い。なるべく自分の持っている力で解決しようとするものだ。人には病気を治す力が十分備わっていて、驚くほど回復する。そうした力を導き出すための努力をする人たちだ。これでもかこれでもかと作られる薬はまだ人体実験をしていない。何年も何十年も経た安価な薬を使えば人体実験やりまくりだから安全性は確保されている。いたずらに製薬会社を養うことはない。  薬局でよく僕が使う言葉「室町時代でもインフルエンザを治したんだから」は皆さんへのエールなのだ。死に病は人生で一度だけ、何回も来ることはない。それ以外は全部生きるために試練。生きるために病気をする。勝ち取ったもの(免疫)は与えられるもの(ワクチン)よりはるかに価値がある。