努力

 短文だが、優しさがあふれ出るようなメールを6年間、2週間毎にくれた。その短い文章の中で彼女の心や体調の変化、或いは環境の変化まで読み取り、より適切な漢方薬を作り続けた。人生の基礎の部分を作り上げ、実社会に打って出る時期を過敏性腸症候群との戦いに費やしたようなものだ。ただ、克服は出来ていなかったが、本来持っていただろう優しさは持ち続けていて表情に十分表れていた。人を傷つけることなど到底出来そうもなく、むしろその逆で苦しむ人のように見えた。ただし、こうした人格の持ち主には必ず救いの手を差し伸べてくれる人が現れる。いや、とても大切にしてくれる人が現れる。何故なら手を差し伸べる人自身が救われるから、引力で同じような心の持ち主と出会わないはずがない。いみじくも、彼女が夢見た職業に最近つけたが、採用してくれた方や同じ職場の先輩達からとても大切にしてもらっているみたいだ。僕には当然のように思える。僕が採用する側に回っても一番にお願いしたいような人だ。  完治の区切りに車を運転してお礼のスイーツを持ってきてくれた。あれだけバイパスを恐れていたのにバイパスを使ってやってきた。もっと驚いたのは、10年以上も行くことができなかった岡山駅周辺に車で出かけ、最難関のイオンモールに買い物に行けたことだ。県内では一番込んでいるところで駐車場に入るのも難しい。そこに行ければほとんどのところに行ける。見事卒業試験に合格したってことだ。  全くの偶然でしかないが、丁度6年前の今日漢方薬を初めて飲んでくれた。6年のうちに、少しずつ行動範囲を広げアルバイトも始め、結果的には正社員として夢見た職種につけた。長い時間かかったかもしれないが、思い悩むだけの時間ではなかった。少しずつ前を見ながら上を見ながら努力した時間だ。そして素晴らしい結果を勝ち得た。決して否定される時間ではない。彼女の表情や物腰がそれを雄弁に物語っている。彼女は決して立ち止まっていただけではないのだ。これからの人生がどう展開していくか僕は楽しみにしているが、恐らく本人も同じだろう。愛されるべき人が再び街に出た。  努力なくしてこれからの長い自由な時間は手に入れられなかった。手にするものの大きさに比べれば漢方薬を飲むくらい努力のうちには入らないのかもしれないが。