無伴奏曲

 玉野の教会に行き、その後深山公園を少し散策しただけなのにやたら疲れていた。夕食も軽めに済まし、眠ればいいのに、何故か寝たほうが体調が悪化するような気がして無理やり起きていた。週に1回の自身への御褒美の缶チューハイも飲みたくなかった。結局は飲んだのだけれど、何か目障りなものを片付けるために飲んだだけのような気がした。そこはかとない倦怠感が、ただの疲れでないことは暗示していた。   ソファーに腰掛け、テレビをつけた。相変わらずくだらないものばかりで、電波を使う権利を返納しろと言いたいようなものばかりだった。そこで教育テレビをつけたら既にクラシック音楽の演奏が始まっていた。曲名も指揮者も知らないが、くだらない他局の番組よりは遥かに心が落ち着く。その間に例の倦怠が体から消えてくれればと思ったが、さすがにそこまでは効果がなかった。ただ、不思議なことに演奏を聴いている間は、体の不快感は随分と軽減されていた。音楽の持つ力だろう。心地よい脳の状態が恐らく体によいホルモンを分泌させ、不快感を少なくしてくれたのだろう。  全くの素人だからの文章で恐縮だが、昨夜の放送で僕がはじめてみた光景がある。それは指揮者のすぐそばに陣取っている演奏家がいたのだ。チェロ奏者だった。明らかにその場所に特別陣取っている。ソロのパートが多いのだろうかと興味本位で考えていたら、正にそのとおりだった。チェロなる楽器がコンサートで主役になることもできるんだと、初めて知った。僕の記憶だとほとんどピアノの場所だったのだが、昨夜は長髪で大柄な男性奏者の場所だった。  たぶん、さっきインターネットで調べたところによると演奏されていた曲はチェロ協奏曲 ロ短調 作品104(ドボルザーク)で 指揮はモスクワ出身のヴェデルニコフ。チェロはクニャーゼフ。演奏はN響だ。曲に関する感想は・・・恥ずかしいくらい分からなかった。指揮者に関する感想は・・・・動きが小さい。奏者に関する感想は・・・まるでスポーツをしているのかと言うくらい大量の汗をかいていた。見るからに大男で、恐らくコレステロール中性脂肪が高めだと思う。肉体的には行け行けどんどんのはずだ。その大男があの繊細な音楽を奏でるのだから、その不釣合いが魅力だ。そして彼がもっとも光ったのは、アンコールで演奏した曲で、たった1人で演奏をした。チェロ1つであんなに表現できてあんなに観客を、いや舞台の上のN響の演奏者達までをも魅了してしまえるのだ。正に目からうろこだ。そして昨夜覚えた言葉が「無伴奏曲」なんて格好いいのだろう。孤高の演者だ。この現実の社会では見なくなった孤高の人物の登場を待ち望むかのようにチェロが詠っていた。