指名

 今回この子を僕は敢えて指名した。他の子も喜んで彼女を優先してくれた。おじいさんが亡くなってから急に無口になり、笑顔が消えていることに僕も気がついたから、何とか気を紛らわせてあげたかったのだ。実際寮の中での口数も随分と減っていたと通訳が教えてくれた。  狙い通りに、建部の旭川のきれいな景色も和太鼓も楽しんでくれた。笑顔が戻り、一緒に行った5人の女性たちとも嘗てのようにじゃれるように行動していた。  当日僕の狙い通り以上のことが起こった。この女性はとても勉強熱心で、日曜日ごとに倉敷にある無料で開設されている日本語の勉強会に出席している。寮を訪ねても本を片手にしている光景をよく目撃していた。ところが実際に言葉を交わす機会はとても少なかった。何故なら寮を訪ねると必ず通訳が自分の部屋から出てきてくれて僕のそばに陣取る。だから自然と誰もが彼女に依存してしまい、通訳を介しての会話になりがちだ。だから僕は一人ひとりの日本語の能力が分からない。  ただその日は通訳は同行しなかった。比較的来日して日が浅い人ばかりだったので、その女性が通訳をかねることになった。物怖じして僕は沈黙の中で運転しなければならないのかと思ったが、彼女は果敢に話しかけてきた。今まで何処にそんなエネルギーを秘めていたのかと言うくらいだった。覚えた日本語を駆使して僕に話しかける。そのほとんどを僕が理解できるから驚きだ。知っている少ない言葉を駆使して、まるで工作のようだが、それでも目的のものを完成できるのだ。  帰り道、乗り物にめっぽう弱いかの国の子が3人、後部座席で眠り込んだ。助手席に乗っている彼女は、ここぞとばかかり話しかけてきたが、その中でいわゆる身の上話になったときは、同情と祝福が混在した。  農村部は今でも結構貧しいみたいだ。「ワタシ コドモノトキ オコメナカッタ オトウサン オカアサン イッパイハタラク カナシカッタ」「15デ ガッコウ オワッタ ホーチミンデタ オサラアラッタ ソウジシタ ソレダケ」どういった経緯で今の会社に就職できたのか知らないが、現地に大きな工場を持っている会社で、そこで選抜された人だけが日本に来ることができる。いわゆる業者に100万円を超える礼金を払ってくる人たちとは違って、手厚い保護を受けている人達だ。だからかもしれないが、人間的に礼節を重んじることが出来る子が多くて、お金を貪欲に求めている感じはしない。頑張れば正当な報酬を得られることが約束されている数少ない子達なのだ。これはひとえにその会社の誠実さによる。  「お金を沢山持って帰って、どうするの?」と尋ねると、はにかみながら「タベモノノ ミセ ツクル」と答えた。僕が寮を訪ねると時々自分が作った食べ物を勧めてくれる。残念ながら僕には苦痛そのものなのだが、恐らく料理も得意なのだろう。高校には誰も進学できない農村部に生まれ、卒業と同時に都会に出て、ひたすら下働きをした。本人から直接教えてもらってはいないが、マッサージ店でその後働いていたみたいだ。チャンスをつかんだその子に向かって両親は「ニホンデ ベンキョウ イッパイシテクダサイ」と言っているらしい。  昨夜寮を訪ねたときにその子は僕の正面に腰掛け、僕と通訳の会話をノートにとりながら聞いていた。痛々しい・・・・でも僕はきっと3年のうちに、彼女が自国で経験できないようなことを一杯体験させる。誰かの役に立つ、それ以上の喜びを僕は知らない。