不謹慎

 不謹慎と思われるかもしれないが、彼女達に全く悪意はない。  鳥取地震は、岡山でも結構揺れた。聞けば長野県のほうまで長周期地震動は届いたらしいから、近距離の岡山県が激しく揺れるのも無理はない。地震を始め自然災害が少ないといわれている岡山県だから、僕も恐らく片手で収まるくらいしか地震は経験していない。そこへ地震警報が発令されるくらいの揺れだったから緊張した。  日本は地震が多いから、激しく揺れたときは津波を警戒してすぐに逃げるようにと、数日前にかの国の女性達の寮で皆に話したところだった。ところがかの国では地震はほとんどないから、経験したことがなくなんとなくピンと来ないみたいで、あまり興味を示さなかった。寮の構造を見てあまりにも柱が少ないので気にもなっていた。  数日後だから、僕の話が少しでも役に立ってくれていたのかと思ったが、夜尋ねてみると開口一番「オトウサン ジシンアッタ タノシカッタ」だった。「怖かったでしょう!」と言うつもりだったのが出鼻をくじかれた。「ニホンジン ツクエ モッテ コワソウダッタ」  さすがに日本人は地震を経験しているから、それも直近では熊本で大きな不幸を見ているから、かなり地震に対して恐怖感を持っている。すぐに頭によぎる映像を一杯持っている。だから恐怖を感じないほうがおかしい。ところが彼女達は経験がないから恐ろしさが分からない。恐怖を感じるくらいの大きな揺れではなかったから、日本に来て地震を実際に経験できたことが喜びだったのだ。「〇〇〇〇ジン ミンナエガオ」と言う言葉がその時の心情を的確に表現している。  ただしそれは不謹慎ではない。南の人が雪を喜ぶようなものだ。豪雪地帯ではあの忌まわしい雪でさえ、南の人たちにとっては憧れのものなのだ。それと同じことだ。恐らく国に帰れば自慢げに地震について語るだろう。物ではない、言葉を持ってでしか語れないお土産だ。  今4人と最後の別れをしてきた。僕と妻で1人ずつ抱きしめていたら、見送る子達が数人で抱き合って、大声で泣き真似をし僕らの周りをぐるぐる回っていた。おかげで涙ぐんでいる姿を隠すことが出来た。この3年間、僕の出来る範囲で4人を大切にしてきた。悔いはない。忍び寄る冷気のようにこの時間の僕は既にクールだ。