大合唱

 不覚にも歌い始めてすぐに涙が出始めて、旨く歌うことが出来なかった。  昨日の岡山シンフォニーホール開館25周年記念公演のアンコールにこたえての曲は、日本人なら誰でも知っている歌だった。ただ僕はもう何十年も歌った事がなかったから、歌詞を何箇所か忘れていて、完全に歌えてはいない。全員が立ち上がっての大合唱に感激して涙が出たのではなく、歌詞の情景が僕と重なったからでもない。歌詞がそれこそシンフォニーホールに連れて来ているかの国の若い女性達と重なってしまったのだ。  彼女達の出身はほとんどが農村部だ。バスで8時間かかるとか、16時間かかるとか、帰国して空港から家までの道中を尋ねると多くの女性が答える。中には1泊する女性もいる。3年間の日本での文化的な生活の後は、彼女達いわく「50年後れている」ところに帰る。ただ彼女達の多くは帰国を喜んでいる。経済的な理由だけで来日しているから、それを果たせば、自分が生まれ育ち、親兄弟や友人が沢山いるところに帰りたいらしい。自然に囲まれた村に帰り、本来の生活に帰りたいらしい。話していると家族とか友人と言う言葉が頻繁に出てくる。人とのつながりを喜びとなす地に帰りたいのだ。  合唱が終わり後ろ髪を惹かれるようにホールから出かけたところで通訳が「オトウサン アノウタハ ダレモガシッテイマスネ?コッカデスカ?」と尋ねてきた。瞬く間に大合唱になったからよほど不思議だったのだろう。「日本では小学校で全員が学ぶ歌」と説明したら納得していたが歌詞に興味があり教えてくださいと頼まれた。  実際に50年の差があるなら、僕らが小学生の頃この歌を学んだ時と、かの国の現在の世相がよく似ているのかもしれない。彼女達にこそ、歌われるべきものかもしれない。

兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川 夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷

如何にいます 父母 恙なしや 友がき 雨に風につけても 思いいずる故郷

こころざしをはたして いつの日にか帰らん 山はあおき故郷 水は清き故郷