皮肉

「先生は働き者だから~」今日、漢方薬を取りに来た若い女性がさらりと言った。あまりさらり過ぎてピンと来なかったのだが、0・5秒遅れて、褒めてくれたような気になったのでお礼を言った。ただ、「僕は働き者?」と尋ねない訳にはいかない。自分では決してそんなことを思ったことはないし、働くことが好きなだけだから。  「私達にとっては助かります。いつ来てもいいんだから」とも言ってくれた。ただ、これに対しても言っておかねばならない「僕も助かっているのよ。暇で困っているときに話し相手に来てくれるから」  万事こんな感じで進んでいく。雑談と問診が入り乱れて処方に近づいていく。決まりきった問診では真の処方には近づけない。その人となりをくだらない会話の中でつかんでいかなければならない。  この女性はもう2年くらい来てくれているが、そのくだらない会話の中で、いや上品で知性的で、それでいてとても気持ちの良い笑顔をしばしば見せてくれるので、くだらない会話ではなく、砕けた会話の中で楽しい時間が過ぎていく。今はもう資格はないが、僕はこの女性を目の前にするといつも「こんな女性と息子が結婚してくれればいいのに」と思ってしまう。職業柄延べで何十万人もの人を応対し続けてきたから、人間の観察力はおのずとつく。だからこんな女性と結婚すれば多くの分野で恵まれるということがいとも簡単に分かる。ただ、それはあくまで僕の価値観で当事者のものではない。だから僕は子供たちの結婚には全く口を挟まなかった。今の時代に、結婚は何かを得るためにするのではなく、本人同士の愛情以外に条件はない。それはよく理解しているつもりでも、目の前にその女性を見ると未練たらしく一人苦しむ。  子供が成人したらもう、次の世代に頼ってもいけないし、頼られてもいけない。そうした単純なことが意外と難しい。ただしそのことは守らなければならないことでもある。人間モニタリングを40年間続けてきた身としては、その経験が生かされなかったことが皮肉に思う。