山の日

 カレンダーに載っているてことは去年から決まっていたことなんだ。春にかの国の娘達とスケジュールを話し合っていたときに次女が「山の日に会いましょうか」と提案した。僕は「そんな日はないよ。海の日だよ」と当然のように訂正した。そして海の日に会ったのだが、本当に山の日があるとは知らなくて、全く迂闊だった。昨日僕は山の日があるってことに気がついたのだが、今度会う時には必ず謝らなくてはならない。  カレンダーに休みの日が載っていてもそれが何の日か考えたりはしない。だから当然今回も調べなかった。昨日インターネットに「山の日の経済効果が6500億円」とか何とか出ていたので、それで知った。ただ、何故今日が山の日なのか知らない。昨日ではいけないのか、明日でもいけないのか。誰がどのような発想で決めるのか知らないが、これもまた経済のためなのか。  実は僕は薬大生の頃、山の神様と呼ばれていた。長距離マラソンは苦手だから箱根駅伝のことではない。山が大好きで、岐阜にいた5年間定期的に登った。結構険しい、命がけの山だった。集中力を切らさずに一歩間違えば人生を失うくらい危険な山だったし、実際に何度も人生を破滅に導かれそうだった。よくも無事に今薬剤師をしているのだと思う。山で全てを失いそうになったと言えるし、山に救われたとも言える。  僕が山に登るのはいつも決まっていた。大学だから各学年の前期試験と後期試験、そして僕がもっとも忙しい追試の時だ。優秀な人間は追試の時は暇だったが、僕は一年で一番忙しい時期だ。そして山登りもその頃に集中する。  授業には出ない、優秀な友人はいない、ノートを譲ってくれる先輩も留年して同級生になっている。最悪の環境の中で僕が出来ることは、数少ない資料の中から「山」をかけることだけだった。365日のうち330日くらいは遊んで、その残りの日々は、懸命に山をかけそれだけを覚えた。分析化学も生薬学も薬理学も、山、山、山、山。山が命、山こそ全て。  山の日を設定したのが優秀な官僚だから今頃にしたのだと思う。もし当時の僕みたいな低空飛行で苦しんでいた官僚がいたら、山の記念日は当然7月か2月か3月に設定するだろう。そしてそれぞれ、小山の日、中山の日、大山の日と命名しただろう。