集団

 いいことか悪いことかわからないが、最近家族を伴って相談に来る人が増えた。夫婦であったり、親子であったり、孫を連れてくる人だったり、様々だが、見ていてなかなか羨ましい。そうした人たちのほとんどはかなり深刻な病気で、僕を奮い立たせてくれる。  そうした人たちを見ていると、ありきたりな表現だが家族愛を感じる。家族が愛で結ばれている事が分かる。まるで僕が育った家や、育てた家とは違う。家族と言っても色々な力学が働いていて、それぞれなんだとつくづく思う。そしてどれがいいのかはわからない。一人が心地よくても他の人間が居心地悪ければ、良い家族とは言えない。  多くの健康面での災難を抱えた家族の愛を見せられて思ったことは、僕が育った家と僕が育てた家はともに、愛で結ばれたものではなくて同じ目標で結ばれた職業集団だってことだ。  両親は正月も休みなく、朝7時から夜の9時まで働き続けた。薬局を休んだのを見たことがない。二人は80歳を過ぎるまで休日をとらなかったと思う。要は一生働き続けたのだ。それで5人の子供を大学に行かせた。両親はもちろん子供達も、薬局を維持するためにいわば一丸となっていた。親にどこかへ連れて行ってもらったこともないし、一緒に何かをしたこともない。ただ3食食べさせてもらって、迷惑をかけないように子供だけで時間を過ごした。親に何の要求もしなかった。  そこまで極端ではなかったが、僕の子育ても同じようなものだった。父の時代、薬局は販売業だったが、僕は漢方薬を中心に「治す」薬局を目指した。勉強で日曜日出かけることはあったが、子供とどこかに行くというのは、結局僕もほとんど経験させてやらなかった。息子と娘は、それぞれ友達と関係を築いて勝手に育ったようなものだ。結局は薬局を維持発展させるために一丸となっていただけだ。だから僕の2代にわたる経験からすると、我が家は家族一丸となって目的を遂行する職業集団でしかない。それがいいとか悪いとか出なく、染み付いた生き方だった。  息子が来月出て行く。同じような職業で一部協力し合っているが、会話は実務的なもの以外ほとんどない。娘夫婦とももう数年一緒に仕事をしているが、薬剤師同士の会話以外ほとんどない。ひとつの目的を持った単なる職業集団だ。  最近の日常に追われた日々を振り返って僕はこのことに気がついた。確実に両親から引き継いで、確実に次の世代に渡した。クール過ぎたかも知れないが、他のパターンを知らなかった。