誕生日

 自分のはいや、家族のは流れで、他人のは興味なし。「これ、なーんだ?」カルタなら一瞬の神業芸で取っているだろう。それは誕生日。  そんなに冷めた僕なのに、よりによってお祝いをしてくれるとかの国の女性達が言うから、約束の時間に大きく遅れて寮に出向いた。いつもは閉じられている玄関のドアが開いていて、二人が外で待っていてくれた。そして案内されて中に入ると、暗い部屋から一斉にクラッカーの破裂音がした。そして日本語でけたたましく「おめでとう」の合唱が響いた。恐らく近所の人は驚いたと思うが1分間くらいの出来事だったので許してくれたのだと思う。  長いテーブルの上に一杯の果物や手作りのスイーツや料理が並べられていた。僕を入れて19人だが、見ただけで食べきれるとは思えなかった。作りすぎとすぐに気づく料理は、かの国では当然のことらしい。お祝いのときは食べきれない量を並べるのだそうだ。何度も「もったいない」を繰り返す僕に何度も「モッタイナクナイ」を返してきた。  食べ物を口にしたときに、大音量で音楽が流れ始めると、かの国のこっけいな踊りが始まった。いつ練習をしていたのだろうと考えてしまう。そもそも僕の誕生日ってことも言っていないのにどうして知ったのだろうと、そこから不思議だ。若い女性が18人も集まると、会話も笑いも機関銃どころではなく、大砲のように飛び交う。以前から請われていた「なだそうそう」をギターで歌ったときにも、最初は一緒に歌っていたが、途中からは、歌声はもちろん、ギターの音も聞こえなくなるくらいお喋りが盛んになり、「聞かないなら、頼むな!」と言いたいくらいだった。そして何より驚いたのは、3曲くらいギターで歌ったのだが、勝手に傍に来て数人が踊りだすのだ。もっとも日本語が分からないから仕方ないが、僕が歌っていたのは例えばこんなフレーズの歌だ。「歩き疲れては夜空と陸との、隙間にもぐり込んで、草に埋もれては寝たのです 所かまわず寝たのです・・・・」や「ある日街を歩いていたら 年寄りの労務者が 倒れていた 冷たい歩道に仰向けになり 一晩以上もそのままらしい 労務者とはいえ 人一人死ぬ・・・」  陽気なくせにシャイ。シャイなくせに陽気。どちらが正しいのか分からないが、これだけは言える。誰もが義理でそのパーティーに出席してくれているのではない。僕の誕生日を心から祝ってくれていたのだ。一人ひとりの表情がそれを物語っていた。国を離れている彼女達にとって、擬似父親である僕に今だ経験のない誕生日をプレゼントしてくれた。職業以外のところで、存在を喜んでくれる人たちがいることはありがたい。