疑問

 なんとなく見覚えのある光景が朝のNHKニュースで写し出されていた。インタビューを受けている若い女性のバックの景色が、正に我が家から車で1分くらいのところにある岸壁からの眺めそのものだったのだ。港を挟んで大きなホテルがあり、そのそばには小学校もある。牡蠣の水揚げに使う大きなクレーンも映し出されていたからもう間違い無しだ。ただそれがローカルニュースの時間帯ではなく、全国版の時間だったから何のニュースだろうと、より興味を持った。  もう1つ興味をそそられたのは、ニュースの内容を表しているテロップに我が家と同じ名前が出たことだ。あちら様は診療所だから、我が家よりは数段格上だが、同じ名前だと言うだけで親近感を持ってしまう。浅はかなものだが、その診療所の特集を見ていて、同じ名前でよかったと思った。そのくらいその診療所がやっていることに賛同できたのだ。以前から思っていることをプロが実践してくれていると思ったのだ。あながち素人の感じたことも間違いではなかったのだと安心した。  心を病んでいる人が2週間か4週間、或いはそれ以上の間隔で通院する理由は、病院側にある。そのことに気がついた医師が、患者さんのほうに出向くことにしたらしい。このことはイギリスに留学しているときに学んだらしい。イギリスでは心を病んだ人はなるべく地域に密着して社会生活を営みながら治療していくらしい。〇〇療法士などと言う多くの専門的なスタッフ総動員で患者さんをサポートするらしいのだ。テレビで映されていた光景は正に、患者さんを牛窓に連れ出して自然な景色を堪能しながら心を整える治療の一環だったらしい。  心のトラブルが、化学薬品で治るのか、僕はずっとその疑問を抱いている。病院の処方箋を受けるときは、それらが多用されていることに目をつむり、漢方の患者さんには積極的に心も治していく。表と裏のように演じ分けている。我が家と同名の診療所が行っているように、積極的に社会と接点を持ち、喜怒哀楽の全てを動員し、嘗てのように生活できるようにならなければ治療とはいえないのではと思う。まるで隔離されたような環境で嘗ての心に戻れるのだろうか。多くの善人とほんの少々の悪人に接しながら、生活の場に戻る、それが治療と言う名に値するのだと思う。コンピューター画面に釘付けの医師に心は治してもらえないような気がする。  その道の素人が言っても説得力はないが、漢方薬を扱っているせいで多くの心の不調の方と接してきた。おかげでその方面でも結構お役に立てれるようになった。先人達の智恵の深さに驚く。わざわざ牛窓の海を見につれてきてくれたその診療所のスタッフ達の努力や誠意を見習い、田舎に開局しているハンディーを逆手にとって、今まで以上にお役に立ちたいと思った朝のニュースだった。