闘争心

 学生時代、岐阜市の北端の新興住宅街に大学があったので、住民のほとんどが薬学生だった。おかげでその小さな町自体が大学の庭みたいなものだった。だからその空間の中では全く自由に行動できた。真夏以外は、大学の中でも外でも白衣で皆うろうろしていた。だから普段着には困らなかった。白衣が普段着であり又正装でもあったから。  当然だが、洗い替えなどと言うものは持ってはいなかった。そんなお金があればコーヒーを飲むかパチンコをした。だから、白衣は洗わない。そのせいで白衣と言う名を返上したくなるくらい汚れていた。そして回生が進むにつれて、薬品や物理的な刺激にあっていたる所が破れだし、白衣の下半分は裾と前立てが残っているだけになった。それでも何も気にならなかった。白衣をきれいにすれば留年しないのならするが、きれいな白衣で何かが変わるとは思えなかった。  その考えは今でも変わらない。大学時代の話を思い出したのは、姪が僕の白衣を見て笑ったからだ。「おじちゃん、裾がない」と驚いた後に笑っていた。笑顔を提供できるのだから僕にとっては歓迎すべきことなのだが、裾が残ることは経験済みだが、裾がないのは初めての経験だ。裾は重ねて縫ってあるから強そうなのだが、場合によっては先に傷むのだと、自分で確認してから分かった。姪にとって、裾のない白衣を着続けることは理解不能らしいが、僕の価値観からすると大いなる許容範囲だ。つい先日、義兄から頂いたアイスクリームを仕事中に食べていて、チョコレートが溶けて白衣に大きなしみが数箇所ついた。これはさすがに妻に見つかって着替えさせられたが、見つかるまでの数時間は全然気にならなかった。その白衣を着ている時間の中に2組、遠方からの漢方薬の相談者が来たが、果たして効果はいかに。「来なければよかった」を「来て良かった」に変える。これが僕のどうでもいい闘争心なのだ。