外来種

 僕にとっての魚釣りは生活の一部だったから、必要がなくなった時点で止めた。中学生になった頃だろうか。戦後の貧しい時代から、高度成長にバトンタッチする頃で、肉くらいは普通の家庭でも買うことができるようになったころだ。真冬以外学校から帰れば必ず釣りをしていたが、以来一切釣りは止めた。僕にとって釣りはおかずを手に入れる手段だった。楽しかった思い出はなく、何処の子も淡々と釣り糸を垂れていた様に思う。桟橋からてテグスを垂れるだけの安上がりな方法だが、魚が多い時代だったから沢山釣れた。家族9人分のおかずを小学生の兄弟3人が毎日釣って帰っていた。  そんな元祖釣り少年には聞き捨てならない話を聞いた。薬局内での雑談だったのだが、釣り大好き人間のその人がある地図を見せてくれた。岡山県の地図だったのだが、地区別に分けていて、結構見やすい。その地図にいくつも赤いボールペンで囲んであるものがある。何かと思ったら、ブラックバスが生息する池らしい。ちょっとした大きさの池は全て赤丸で囲んでいる。僕がよく通う玉野市の池も軒並み印がついていた。「ほとんどの池にブラックバスっているの?」という僕の素朴な疑問から聞きたくない事を聞く羽目になった。  僕はブラックバスは、観賞用に飼っていたのを誰かが捨ててあんなに広まったのかと思っていたが、彼曰く、釣具店が意図的に池に放したらしい。例えば上流の池に放せば、下流にある池はおのずと繁殖するようになるが、全て釣り道具や餌を売りたい人たちの意図的な行為だったと言うのだ。もしそれが事実ならかなりあくどいと思う。繁殖力が強いことを悪用して外来種を増やそうとしたのだから、固有種の減少に手を貸したことになる。法律で禁止されているかどうか知らないが、それ以前にやってはいけないことだ。商売のために、金のためにしてはいけないことに手を染めたことになる。最早この国は、何もかもが自慢できる国ではなくなっているってことだ。良いから悪いをひく経済指標ではないが、いつまでプラスを保っておられるか怪しいものだ。既にマイナスになっているかもしれない。大きな悪が決して責任を取らなくなり、庶民は告発できない、追い詰められないところまでもう来てしまっているのだから。そのうち、魚だけでなく人間も外来種に駆逐されるだろう。繁殖力、食欲の旺盛な外来種は、企業の人手不足と言う名のもとにどんどん輸入されているが、危険魚がどんどん紛れ込んでいる。一部の金持ちをより太らすために庶民がとんだ外来種と同居しなければならなくなる。ヨーロッパで行われている人道主義と言う名の搾取をよく見ておかなければ。せめてこれだけは失いたくなかった・・・・そう言った日が来ないために。