堪能

 大の大人が鳥の鳴き声を聞いて家から飛び出すのも滑稽だが、もうほとんど条件反射みたいだった。他の鳥の鳴き声に反応する僕ではないが、鳶(とんび)だけは別だ。まして物悲しげにとても近いところから聞こえてきたので、何か悪いことでも起こったのではないかと心配になったのだ。およそあんなに至近距離で鳶の鳴き声を聞けるはずがないから。  裏の駐車場から外に出るまでに2回鳴き声を聞いた。外に出て、一応上空を見たが飛んではいなかった。鳴き声が止んだので探しあぐねていると、それこそすぐそばで鳴き声が聞こえた。上空でも山でもないのが分かっているから、がけ下の民家のほうを見ると、そのそばに立っている電信柱の上に止まっていた。電信柱までの距離は10メートルくらいだ。電信柱の上に止まっている姿は威厳があった。恐らくこの辺りでは鳥の頂点に立っているのではないか。天敵もいないだろう。僕が見つけて数秒もしないうちに、例の物悲しい鳴き声を残して悠然と飛び立ち、家の屋根をかすめて南のほうに徐々に高度を上げて行った。  鳥の名前を知らないから正確ではないが、最近戻ってきたり新しく暮らし始めた鳥達は、すずめ ツバメ、ドバト、ムクドリ、鵜 サギ、そして鳶。実際にはいくつも落としているのだろうが、これだけの鳥が毎日入れ替わり立ち代り僕の周りに現れてくれるのだから楽しい。田舎に暮らしていて良かったなあと思う瞬間でもある。  昨夜関東地方に住む姉と電話で話したときに、姉がかわせみを実際に見たと言っていた。都会の川岸で見たらしいが、やはり感動していた。僕らみたいな年齢になると懸命に生きているものたちが、人間であれ動物であれ、とてもいとおしくなるのだ。高校から大学の9年間だけ都市部で暮らしたが、田舎で育ち、田舎に帰り、田舎で暮らすことが出来てよかったと思う。インターネットや交通手段の発展で田舎のハンディーがどんどんなくなって、田舎でしか手に入らないものを、それはものでもあり精神でもあるが、堪能できるからだと思う。  半世紀以上昔、僕は家の前にある広場から天高く円を描いて飛ぶ鳶を何度も見上げた。そのことを鮮明に覚えているのだ。鳶に特別な感情を持つのはその記憶のせいだ。人生が始まる頃と、人生を終える頃に、同じものに感動するのが面白い。