座礁

 こそっと漢方薬でも作って飲んでもらおうかと、つい魔がさすが、ここは我慢、我慢。紳士協定を破るわけにはいかない。  「その皮膚病はいつから?」と尋ねると「もう、10年とは言わん」「今日、処方箋をもって来たお医者さん以外にもかかったことがあるの?」「あるある、〇〇先生に10年位前にかかったけれど、もう漁師辞めいって言われた。簡単なもんじゃ」「漁師辞めたら、生き甲斐がないじゃろう」「そりゃあそうじゃ、何をすんなら(するんだ)」  手首から先が両手とも象さんの皮膚みたいに硬くなり、ひび割れている。この暖かさと湿度でひび割れるわけがない。よほど皮膚が変質しているのだろう。年寄りだからまだ精神的なダメージは少ないが、若者だったら耐えられないだろう。いたるところがひび割れて出血している。痒いより痛いのではないか。案の定本人も痛いと訴えている。  処方箋にかかれた薬を渡しながらじっくりと患部を見せてもらった。見ながら漢方処方が反射的に浮かんでくる。調剤薬局でない昔ながらの薬局の習性だろう。昔はみんな薬局には「治しに来ていた」さすがに漢方薬がなかったから軽医療だったが、それでも相談されて「治していた」そんな父の姿を見ていた。  僕の代になって、漢方薬を扱い始めたから、かなりの不調の人が訪ねて来てくれるようになった。今では2極化して、娘が作っている薬局製剤のファンで病気の初期で自己治療する人と、病院で治らなかったから漢方薬を求めて来る人に分かれた。日常遭遇する簡単な病気は、1000円札1枚で治るようにしている。漢方薬で慢性病をお世話するときはさすがにそうは行かないが、それでも若者でも飲める位を目指している。  さす魔を撃退して、平穏に病院の薬を持って帰ってもらったが、僕の心中は穏やかではない。これからもずっと今の皮膚病を抱えて暮らしていくのかと思えば、そして他の選択肢を与えられないまま老いていくのかと思えば後ろめたくもなる。厚生省の制度設計になんとなく乗れないまま辛うじて座礁を免れているのが僕の薬局だろうか。