恩知らず

 もし僕がツバメと話す事が出来たらまず最初に言ってやりたいことがある。「この恩知らずめが」もしツバメが僕と話す事が出来たらまず最初に言っておきたいことがあるだろう。「この恩着せがましい奴が」  娘夫婦は今年、一段と工夫をこらしてツバメの子育てを手に取るように見ながらカラスから守ると言う方法を作り上げた。元気に雛が育っているから大成功だ。恐らくこれからずっとこの調子でツバメを守ってやることが出来るだろう。数年かかってほぼ完全なものが作れた。種明かしをすると折角の努力の結晶のトウキョウトットトキャキョクを得られなくなるから気が進まないのだが、ここは世のため人のため種明かしをする。去年成功した巣の下に板を水平に垂らすという方法はホバリングができないカラスにはとても役に立ったが、見上げる人間には巣がどこにあるのかも分からない、雛がかえって巣立っていく達成感はあるが、結局雛を一度も見ることなく巣立ってしまった。  今年は可視化されたものだから安心してツバメの子育てを見ているが、一つだけ釈然としないものがある。それは毎日午後7時半に薬局業務を終え、シャッターを下ろすために支柱を立てるのだが、その支柱を持って僕が薬局の前に立つとすぐに、ツバメがチキ、チキとけたたましく鳴いてあたりを飛び回るのだ。まさしくカラスが卵を狙って近づいたときの鳴き声と同じだ。そうだ、僕もカラスと同じ卵や雛を襲う悪党なのだ。結局シャッターを下ろし、僕がシャッターの影で見えなくなるまで鳴いている。  毎日僕がどのくらい気を使っているか分からないのだろうか。あの小さな脳では僕が味方だってことが分からないのだろうか。もう何ヶ月世話をしていると思っているのだろう。毎晩同じ時刻に同じ行動をする動物をいい加減に覚えて欲しい。そして危害を加えることがない生き物だって覚えて欲しい。  お礼はいらない。新しい命が生まれるのを見せてもらえるだけで十分だ。ツバメが沢山舞う町の住民は優しいに違いないと言う理由で牛窓を選んでくれた、ある賢人がいたが、実感で分かる。恩着せがましいくらい世話をしないと、カラスや蛇にやられるのだから。恩知らずと頭にきながら、今日も早朝のカラスの見張りに立つ。