返信

 もう10年以上前のことだが、統合失調症の若い女性をお世話したことがある。その女性は幻聴があったが、話を聞いているうちに僕とそんなに変わらないのではないかと思った。病院で幻聴と診断されているから、本来聞こえないものが聞こてしまう病気に思えるが、僕には彼女が言葉を紡ぐ能力が単に優れているだけのように思えた。何の理由も無く、ものが聞こえたり見えたりするのではなく、彼女はいつも心の中に多くの想いや言葉を持っていて、それがあふれ出しているだけのように思えたのだ。最初相談に来たときには、口からよだれを流してまるでだらしなかったが、次第にいろいろなことを考えている女性に見えてきた。それにつれて身だしなみも振舞いも女性らしくなった。何年笑うことから遠ざかっていたのかと思うほど表情は無かったが、やがて笑顔が出るようになり、他人への思いやりも復活し、ごくごく繊細な普通の女性になっていった。漢方薬を呑むにつれて病院の薬が減って、現代薬の効きすぎからも解放された。  薬を作るたびに1時間は色々なくだらない話をした。僕はプロではないから、日常の些細な出来事をテーマにした会話しか出来なかったが、そんな話題で会話が出来る関係が良かったのかもしれない。当時、僕は彼女と話をしていて、僕にも同じようなところがあることに気がついた。僕は寝ているときに、多くは目が覚める直前だと思うのだが、頭の中にいっぱい話のネタが浮かんできた。まるで小説を書いているように次から次へと言葉が現れやがてそれが連なり話になる。書きとめておけば小説が書けると、何度寝ながら考えたことか。  そのうちそんな芸当も次第に消えて行った。彼女が僕の薬局を卒業するとともに、僕自身の夢の中での作品作りも終わった。ところが最近又それが復活気味なのだ。取り留めの無い小説風ではなく、れっきとした返事の文章なのだ。毎日多くの方にメールを頂くから仕事の合間に返信をするようにしている。ところが漢方薬を作ることに時間を奪われ、なかなか当日中に返信が出来にくくなった。それに結構居心地の悪さを感じ、翌朝早くに返事しなければとプレッシャーを感じながら眠ることが多い。そんな夜は必ずと言っていいほど眠りながら返信の内容を考えている。  不思議なことに、浮かんだ文章はそのまま使えると言うか、無駄なく僕の気持ちを表してくれるものが多い。だから今では、眠りながら、朝まで忘れまいと浮かんだ文章を復習する自分がいる。長い間、だらだらと生きては来たけれど、その挙句見つけたものも多い。それが少しでも役に立てればと、力むなと説きながら力む自分がいる。変われない自分を嘆くよりも、変わらない自分をいとおしむ、これもまた変異の脱力。