花一輪

 そもそも茶事と言う言葉さえ知らなかったから、意図してその番組を見たのではない。偶然睡魔を待つためにつけていた教育テレビで見た番組だ。途中から見始めたので詳しくは分からないが、70歳くらいの女性が、ごく普通の人が暮らす田舎に出かけ、目の前で作った料理や目の前でたてたお茶でもてなすと言うものだ。1対1とか1対2とか、とにかく少人数の人をお茶と懐石料理でもてなすと言うから、僕らとは生きている空間が違う。所詮縁の無い話だ。それなのに僕が見続けたのは、茶事を行う老婆が、奥ゆかしくて、その個性に惹かれたからだ。  あたかも悟りを開いているかのような女性にも悩みがあった。それを京都のお寺さんの住職に相談に行ったときに、その住職が 「花一輪に飼いならされてみなはれ」みたいなことを言った。正に禅問答みたいだが、恐らく仏教の教えの中にちゃんとある言葉だろう。話の前後からその謎めいた言葉の意味を理解できていたように思うのだが、一晩眠るとすっかり意味が分からなくなっていた。そこで、あれはどういう意味だったのだろうと、翌日折に触れ考えてみた。  例えば僕が庭に花を植え、美しい花を咲かせた。あくまで僕が主役だ。ところがその咲いた美しい花のとりこになっていいのではないかと勧められているのだ。多くを望まずに、たった一本の花に真心を尽くしてみたらどうかと諭されているように感じた。物欲のみならず、あれもこれもと心の中で欲しがる現代人を戒めた言葉のようにとれた。茶事を行うその女性はその言葉の意味がすぐに理解できたみたいだったが、僕は時間がたつのに比例して、言葉のもつ意味から遠ざかっているように思う。その言葉を理解するにはまだまだ僕は、多くのくだらないものを持ちすぎているように感じた。