こうした人を「兵」と呼ぶのだろう。少なくともそんな話聞いたことがない。  その男性のお嬢さんが下痢の漢方薬を作ってと頼みに来たのは、そんなに以前のことではない。その時のことを鮮明に覚えているから3年位前の話だろうか。いや、ひょっとしたら2年位前?  よく知っている漁師さんだから、恐らく数日分作ってお嬢さんに渡したと思う。それが全く効かなかったのだ。そこで又数日分作り直して渡した。ところがそれでも全く効果が無いと言う。僕の経験では下痢を抑える漢方薬で全く効果が現れないことは考えられなかった。そこで、何か良くない病気が隠れているのではないかと思い大きな病院にかかってもらうことにした。結構素直に大病院にかかってくれたが、結果は悪かった。大腸がんだった。  その時点で当然僕の手は離れた。つい最近久しぶりにやってきた。それこそ2年ぶりか3年ぶりだ。日常遭遇する簡単なトラブルの薬を取りに来たのだが、少しだけ会話をした。家族はその間もよく僕の薬局を利用してくれているから少しは耳に入っていたのだが、なんと本人曰く、この間に7回手術をしたそうだ。具体的にいつ何処を手術したのか聞かなかったが、整形外科手術が2回で、5回が癌の手術らしい。癌は元々の大腸がんはもちろん、転移したのだろう幾箇所か上げていたが、本人も分からないのかもしれない。  7回の手術に耐えた・・・と言う美談ではない。耐えるどころかぴんぴんしているのだ。薬を取りに来たときも、急いで帰って漁に出ると言っていた。もう80歳を超えているのに現役だ。1人で漁に出る。それも退院した次の日から7回とも沖に出ているそうだ。その上病院で抗がん剤を打っても、食欲が落ちたことがなく医師が「よく食べられるなあ!」と感心していたらしい。抗がん剤を飲みながらでも、髪の毛が抜けたこともない、食事がまずかったこともない、仕事は欠かさない。医師も驚いてばかりだったらしい。  これは奇跡か当然か。僕には彼の当然と思わせるエピソードがある。もう20年位前のことだけれど、珍しく3世代そろい踏みで薬局にやってきたことがある。彼(おじいちゃん)は孫を抱っこしていた。そこで彼の漢方薬を頼まれたから、体重を量ってもらうことにした。すると従来より随分と体重が増えて「8kgも太った。いつの間にこんなに太ったんじゃ!」と自分でも驚いていた。息子夫婦も「おじいさん急に太ったなあ、そんなに太った感じはせんけどなあ(しないけれどね)」と驚いていた。ご飯が多いとか、甘いものが好きだからとひとしきり原因究明が行われた後、嫁がふと気がついた。「おじいさん、〇〇を抱っこしてヘルスメーターに上がっているが!」  当然大爆笑が起こった。吉本新喜劇のねたにでもなりそうなことを平然と何の演出も無しにやってのけれるのだ。このなんともいえない間の抜けようが、彼の生命力を随分と持ち上げているのだと思う。およそ知性などとは程遠い生き方をしているが、それこそ悪意を知らない。人が生きるに一番難しい道を彼は無意識に歩いている。この歩みこそ奇跡のような当然を生み出したのだと思う。職業柄「生きにくさ」を抱えた人たちと多く接するが、彼の歩んだこの2,3年は僕にとってはとても示唆に富んだものだった。これからの僕にとっても、僕の漢方薬を飲んでくれている人、くれる人たちにも。