語録

 今日帰国した〇〇チャンは、語録と言うべきものを残してくれた。なかなか考えさせられるものがある。その中のいくつかを思い出すがままに書いてみたい。  日本に来てから仕事が楽しくなった。かの国でもこの3年間働いた会社の現地法人だったのだが、なんとなく無気力に働いていた。時間が過ぎればよかった。ところが日本に来ると、日本人がとてもよく働いているのを見て、自分も働くことが楽しくなったらしい。社内中の一所懸命が気持ちよかったらしい。特に、3交代勤務の深夜12時から朝まで働いているときに、工場長が午前5時に出勤してきたりするのを見て、考えが変わったみたいだ。  かの国の人は、仕事が終わるとすぐに家を目指して帰っていく。家族が大切と言う理由からだ。ところが会社の日本人は仕事が終わってもなかなか帰っていかない。タバコを吸ったり、コーヒーを飲んだり、話したりしている。「ドウシテデスカ?」と尋ねられたから「日本人にとって家庭は職場と同じくらいストレスが多い場所で帰りたくない場所なんだ」と答えた。「エエッ!」と驚いた様子を見せたが、本当は3年間の観察で分かっている。  かの国の人たちはとても花が好きで、花が咲いているところに連れて行ってあげれば一番喜ぶと思っていたのは僕のまだ未熟なところで、いやいや最近はなんだか気がついていたのだが、本当は、花が好きなのではなく、花をバックに写した自分の姿が好きなのだ。それが証拠に、どんなに美しく咲き誇った公園に連れて行っても、10秒も花を見ない。あっという間に花に背を向け写真を撮り始めるのだ。「オトウサン ハナガスキナノハ ワタシト Bサンダケ ワタシトBサン ニワニハナヲウエテイル」確かに、寮のわずかなスペースに可愛い花が植えられている。2人が世話をしているのも時々見かけた。  「ワダイコ ベートーベン スキデナイヒトイル ハッピータウンデ カイモノスルタメ イッショニイク」「オトウサン モッタイナイ」 「ニホンゴ ムツカシイ デモワタシ カンタンナコトバデハナシスル」通訳がいる前で〇〇チャンは、かの国の人たちの通訳をする。ほとんど反射みたいに。簡単な言葉で何とか伝えようと必死だ。その姿に感銘を受け、日本語を自然に教えてしまう。そうして彼女は日本語学校にも行かずかなり喋れるようになった。これは例えば僕が英語圏の人間と喋るときに全く応用できる。まず親切な人間にしか話しかけない。つまらない英語圏の人間は一杯いるから相手を選ぶ。そして見つけた親切な人間には、何とか自分が知っている単語を駆使して意思疎通を図る。それでいいのではないかと今は言える。僕がずっとそうであるように、気持ちを集中して耳を傾け、知っている語彙を駆使して会話してくれる人間を見つければいいのだ。逆にそんな人間でないとそもそも話す価値もない。  最後に付録で牛窓自慢。  僕がその会社の他所の寮を訪ねたときに、寮の場所が分からなかった。岡山市にあるのだが郊外で牛窓と同じように田園が広がっていた。ここらあたりと目星をつけて「〇〇〇〇人の人たちが住んでいる家は何処ですか?」と尋ねた。すると中年の女性は、聞いたことがないと答えた。途方にくれているところに丁度〇〇〇〇人が家から出てきて僕を見つけてくれた。なんと女性に尋ねたところから50mくらいしか離れていなかった。寮で話しているときに、近所の人達から野菜を沢山もらえるだろうと言ったら、そんな経験はないと言っていた。ひるがえって、牛窓では食べきれないくらいの野菜を近所の農家の人にもらえるのだ。そのおすそ分けを僕が頂くくらいだ。いやいや近所だけではなく、会社への通勤途中の畑で、おばあさんにももらったりする。かの国から来た女性達はほとんど農村部で農業をしていた人たちだから、お返しも堂に入っていて、一緒に農作業をしたりした。「ウシマド イイデス」何回も聞いた言葉だ。