空白地帯

 薬局に帰ってきて40年。漢方薬を勉強して30年以上経っているから、県の南東部ではそれなりにヤマト薬局の名前が浸透していると思うのだが、意外にも牛窓から峠を一つ越えただけの岡山市のある一区画が、僕の患者さんの空白地帯だ。薬局を継いだときから、牛窓町の人口の少なさに危機感を抱いて、町外に積極的にチラシを撒いてきた。商品名を全く載せずに、漢方薬が解決できるトラブルをひたすら解説してきた。だから今では町外の人、岡山市備前市、果ては倉敷市赤磐市など、車で1時間以上かけて来て下さる人が多い。なのにその一番近い、およそ10分で来ることが出来る岡山市の一区画の方はめったに訪ねてこなかった。その理由が最近やっとわかった。  その地区に診療所があって、その先生がことのほか患者さんを治すことに熱心で、ほとんどその地区の人達にとって神様状態なのだ。医師の仕事に熱心と言うより、仕事がとても好きみたいで、それこそ休みなく働いている。市は違っているが、隣り合わせの僕の町からわざわざ行く人も多い。だから、そのように力がある先生が君臨しているところから僕みたいな田舎の薬局に来る理由はないのだ。  ところがその診療所に息子が勤め始めて、漢方薬が使える医師が来たと言うことで、漢方薬を飲む患者さんが少しずつ増えている。昨日3回目の処方箋をもってきた女性は、10年間、20近くの症状を抱えて苦労している人だったが、煎じ薬と粉薬の処方で、もうほとんど症状がなくなったと言っていた。おまけに、体調不良で2年間だけ通学して専門学校を休学していたのだが、体調がよくなったので復学することに決めたみたいだ。医療関係の専門学校で卒業すれば引く手数多は間違いない職業だから、本人は見違えるように明るくなっていた。人生まで変えてしまうほどのお手伝いが、やはりその地区でも出来るのだ。あまりにも院長が熱心で信頼を集めすぎていたからこそ、漢方薬との縁が生まれなかったと言う皮肉な結果だ。息子も最近の患者さんの成果に、こんなに漢方薬で救える人が多いのかと驚いていた。今では空白の地域から漢方薬の処方箋を持ってくる人が絶えない。  これで僕の地図から空白地帯が消えた。後は僕の人生に空白地帯を残さないようにしなければならない。