脱落者

 オリンピックスタジアムの聖火台が考慮されていなかった件で、またぞろ責任回避合戦が始まっている。こんなときに必ず出てくる掃除大臣経験者がいて、その品の無さが全く変わっていない事に驚くし、そもそもまだ生きていることに驚く。実際に命があることはもちろんだが、あの世界に今だ健在とは、そもそもあの世界がこの世のものではないと言う証明でもあるのだろう。  政治屋とはよほどあつかましい人間しかなれないのか、そういった人間の就職場か知らないが、よりによってほとんど漏れなくそういった人間で占められる。だからごく普通の人間にとっては「気持ち悪い」のだ。およそ良心とか恥とか、社会で重要視される価値観が足をすくわれるものに変質してしまう世界なのだ。  僕が牛窓に帰ってから付き合っている人達が最近よく死ぬ。どれも全うな人達ではなかったがよく気が合って好きな人達ばかりだ。あの掃除大臣やアホノミクスと同じくらい全うな人達ではなかったが、僕の知り合いは人畜無害だ。決して褒められた人生を送ってはいなかったが、人を傷つけたりはしない。自分で自分を苦しめているだけだ。自分の為に力ないものを調教するような奴らとは違う。自業自得で世を去っていくだけだ。その中で不思議と逝かない友人がいる。当然自他共に認める先頭打者だったのに、今だ4番を打っている。「まだ人の半分も酒を飲んでいないのに今から死ねるもんか」と今日も言っていたが、恐らく僕の1000年分は今までに飲んでいる。  昨年死んだある友人が意識を失って病院に搬送されたときに、その4番打者が役所から病院に様子を見に行くように頼まれたらしい。身内がいないことが役所にも分かっていたから、友人代表として頼まれたみたいだ。しぶしぶ4番打者は病院に行ったらしいが、病院に着くと救急搬送された友人が廊下を歩いていたらしい。「どうしたんで!死んだのかと思ったのに」と本人に尋ねたらしいが、「知らぬ間に意識を失ったみたいじゃけど気がついた」と答えたから「ややこしいことをするな、逝くんなら逝くんで戻って来るな」とたしなめたらしい。今日初めてその話を聞いたのだが、もう10年近く前のことだから、思えば長生きをしている。   世の中ではそうした人達を惨めな人間と捕らえるかもしれないが、本人にそんな自覚はないからそれはあたらない。本人は結構自由でだらしなく過ぎる時間を楽しんでいるのだから、幸せなのだ。零れ落ちることを恥じるこの国に偶然生まれたから脱落者かもしれないが、もっと自由な国で暮らしていたなら、性質のよい自由人だったかもしれない。  言い訳三昧の政治屋に比べなんて分かりやすい僕の友人達だろうと思う。ほとんどの人が何もかも失くして逝ってしまう。家族も仕事も財産も。いや、失くしたのではなく返したのかな。