自爆

最初依頼されたときの希望がその程度だったのかと驚いた。お母さんが土曜日に漢方薬を取りに来た時に今までのお礼を言ってくれたのが「高校を卒業さえしてくれれば十分だったのですが、大学まで行かせてもらえました。本当にありがとうございました」だったのだ。僕は本人に一度だけ会ったことがあり聡明そうなのは分かっていたし、又電話で勉強が好きと言っていたから、当然大学に行くものと思っていた。恐らく大学に行けないと決め付けていたのは、僕のところに来るまでの病院の治療のせいだと思う。親子で、いやおばあちゃんを含めて3代で途方にくれていた。それまでかかった医療機関で、症状を本当に理解してもらえなかったことや、インターネットの世界の虚偽に満ちた情報で谷底に突き落とされていたみたいだった。本来は元気一杯に見えるお母さんだって気弱に見えた。最初相談、いやあれは相談とは言えない。最初はほとほと困った家族が、仕方なく来てみただけのような感じだった。おばあちゃんが町内だからしばしば僕の薬局を利用してくれていたが、遠くへ嫁いだ娘は実際に僕の薬局を利用したことはなかった。孫の病気が治らないので、里帰りの時に「冷やかし程度」で来てみただけのように映った。そして「娘が高校2年生のある日を境に教室におれなくなって・・・」と話し始めた。お腹が痛いとか何とか続けたが、僕には分からないだろうと言う雰囲気を今でも良く覚えている。ところが僕がそうした周辺症状ではなく「本当に困っているのは教室や電車の中でおならが漏れることではないの?」と尋ねたことから、お母さんとおばあちゃんの表情が一気に変わった。僕がそういった病気は過敏性腸症候群の範疇に入ると言ったことでも驚いたみたいだ。僕にとっては既に1000人以上過敏性腸症候群の方の世話しているから珍しくもなんともなかったのだが、こんな田舎、と言うよりこんな近くに過敏性腸症候群と言う病名を知っていて、おまけにその為の漢方薬を作れる薬局があることが信じられなかったみたいだ。もっとふるさとに誇りを持って欲しいが、田舎のこれが宿命なのだ。大都会の薬局なら、立地や名前でスタート時点から信用を得られるが、過疎の町の薬局は実績しか信用してもらえないのだ。僕は30年その屈辱とハンディーと戦ってきているが、それがあったからこそかもしれないと最近では自分に言い聞かせている。  結局、1年と1ヶ月で完治してもらえたのだが、前途ある若者のハンディーを取り除けたことになる。多くの青年が、青年がゆえに自爆して青春やそれ以降を失う。こんなにもったいないことはない。個人が持っている力を社会の都合に合わせられ、肩書きと経済力を持っている人間だけに都合の良い社会が作られている。そうした流れに漢方薬を通して抗いたい。ちなみに彼女が克服した症状は、肛門に違和感がいつもある。大きなおならが出ない。心臓が圧迫されて息苦しい。登校しようとするとお腹が痛くなる。げっぷを無理に出す。唾液が溜まる。授業中ガスが漏れ続ける。電車の中で皆が騒がしい。臭いと乗客が言う・・・だった。