TEDで脱北者の若い女性が、その苦難の行程を語っていた。話の全てに感動を覚えずにはおれなかった。その中で特に感銘を受けたのが、プノンペンでの出来事だ。どうやら後進国ではまだまだ賄賂が幅を利かせているらしくて、入管でも留置場でも賄賂を払ったみたいで、いよいよお金が底をついたときに、町中である男性に声を掛けられた。彼女は家族を救うために役人に渡す賄賂代が要ると説明すると、男性は彼女をATMに連れて行き、必要金額を卸してくれたそうだ。彼女がどうして見ず知らずの私にこんなことをしてくれるのか尋ねたら「私は、あなたを助けたいのではない。北朝鮮の人々を助けたいのだ」と答えたらしい。格好良すぎなどと単純に称えるレベルではない。もう一段深いところに男性の思慮が伺われ、見習いたいと強く思った。  この歳になって初めて分かってくることが多い。人生がもう少しで終わると言う考えが毎日一度や二度は頭をよぎる。その都度どう生きるべきかを思案する。簡単に言ってしまうと、人生なんかたいしたものではないと言う印象を強く持ち始めた。人より勝るために懸命に勉強し、懸命に仕事をしても、行き着くところはほとんど変わらないのではと思えるのだ。道行く人たちの笑顔を見ていると、結構幸せそうな顔をしている。人それぞれに色々なハンディーはあるだろうが、それを何かで補ったり、何かで上回ったりして結構楽しそうに暮らしている。笑顔さえ零れれば、その人が求め手に入れたものなど案外と価値はないのではないかと思う。あの笑顔さえあれば、人生はまずまずだったのではないかと思うのだ。経済も学歴も、その他もろもろも、人を幸福にするには決定的な要因ではないような気がする。むしろそれらと縁遠い人で、素敵な笑みを浮かべる人が多い。  人より勝り、多くを得ても、結局は何もかも置いていくのなら、はじめから多くを持たなくていいのではないかと思うのだ。身軽で旅立てるように、物も心も軽いのがいい。僕らは地球にとってはゴミみたいなもの、宇宙にとっては塵みたいなものなのだから。