口直し

 会場の市民会館から駐車場まで歩く間。いや席を立ったときから、いや演奏の途中からお互い顔を見合わせて落胆の色を隠せなかった。心の中ではブーイングのしまくりだ。理性を解き放つことが出来れば大声で「太鼓を聴きに来たんだぞ~」か「金返せ~」と叫びたかった。圧倒的多数の熱狂的なファンを向こうに回す勇気がないから、いつものように叫んで応援したりしなかったし、いや、感動しなかったから必然性もないが、拍手もしなかった。拍手をする価値もなかった。  今日は6000円と言う高額なチケットだから妻と次女、三女で聴きに行った。二人を誘うときに「たぶん日本で一番か二番か三番くらいに上手いよ」と言って恩着せがましく誘った。ところが彼女達もあきれるくらい感動を呼び起こさなかった。もう何度か和太鼓のコンサートに誘っているから、その音楽性を理解しているし、日本の文化も嗅ぎ取っている。ところが今日は何も感じなかったそうだ。おまけに駐車場まで歩く間、そして教会までの車に乗っている間、たどたどしい日本語で「懲りすぎ」「モダンなものと太鼓は合わない」「テクニックだけで心がない」などと低い評価しか下さなかった、と言うよりあきれていた。勿論僕も妻も同感で、僕たちは牛窓に帰るまでその話を続けていた。  鼓童のメンバーが読んでくれるとは思わないが、気がついたことを列挙する。僕はかなりの観客と意見を一にしている自信がある。太鼓好きには耐え難い今年一番の無駄金だと思っているから。  舞台の上を演者がゆっくりと歩いたり、太鼓の皮を張ったり、立ち話をしたり、そんな光景で始まったが、なんとそれが10分以上続いたと思う。玉三郎の演出かもしれないが、幕を上げて早く演奏しろってところだ。人が歩いたり、太鼓の皮を張るのを見るために6000円も払ったのではない。用意なら幕が上がる前にしろ。  車のタイヤを沢山並べてそれを太鼓のようにして叩く。音は小さいし悪いし、何のためにそんなことをするのか分からない。無駄な時間がこれもまた10分やそこらではなかった。タイヤを叩くのを聴くためにお金を6000円も払ったのではない。  これは全く何かわからなかったが、妻に言わせればカップヌードルの蓋ではないのと言うのだが、そんなもので出す音を6000円も払って聴きに行ったのではない。  フルートを吹くのだが、和太鼓とフルートの組み合わせになんら心が動かされることはなかったし、フルートならクラシックの音楽家のを聴きたい。素人のフルートを聴くために6000円も払ったのではない。  ドラムを3台並べて悦に載って叩くのだが、早くたたくことと大きな音を出すだけで、なんら音楽になっていない。うるさいだけだった。ドラムならジャズドラマーが叩くのを聴く。ジャズドラマーが叩くのは音楽だ。騒音を聴くために6000円も払ったのではない。  年間20回くらいは和太鼓の演奏を聴いているが、こんなにお金を取られてなんら感動せずに会場を後にしたことはない。素人でも、体力の限界まで叩き続ける姿を見せられれば数倍感動する。岡山県では備中温羅太鼓、香川県に行けば夢幻の会他一杯の実力ある太鼓集団がある。パホーマンスで人の気を惹くなど邪道でしかない。2月には温羅太鼓と讃岐太鼓のつどいがある。どちらもチケットを手に入れることが出来た。早く口直し、いや耳直しがしたい。