斡旋業者

 昨日の讃岐国分寺太鼓保存会の公演「鼓典 冬の章2015」の会場で思いがけず、隣の席のおばさん2人と仲良くなった。何のきっかけで話しかけてきたか忘れたが、人懐っこい2人だった。開演に先立って舞台で挨拶をした女性と顔見知りらしくて、地元の人だと分かる。えらくくつろいでいるから正に地元なのだろう。僕が牛窓の会場で聴いているようなものだ。ちょいと出かけて来れる人と、朝7時に出発した人間との差が、くつろぎ加減で分かる。八百屋で会った御近所同士が話している様なものだ。  開会の挨拶をした女性はなにやら歯医者さんのお嬢さんらしくて、それがどうしたと思うのだが、手話を交えながらの挨拶は何度見ても、この保存会の質の高さを物語るし、挨拶を終えるとすぐに演奏に加わるのがいい。おばさん達はそのあたりを誇りに思って僕に教えてくれたのかもしれない。要は町の誇りなのだ。  アンケート用紙に僕が記入していたのを見ていたのか、遠くから来られたんですねと驚いていた。もう3年くらい通っているから、わざわざ遠くにやってきている感覚は全くないが、ましてフェリーに乗れるのだから何度来ても楽しいのだが、県外と言うことだけで驚いたのだろう。やがて僕の隣に並んでいる7人の若い女性達が日本語を話していないことに気がついたみたいで、余計な興味も持ったのか、僕に「斡旋業者ですか?」と尋ねた。僕の品のない顔や服装がそう思わせたのだろうが、それを否定して、何故一緒に来ているかを説明した。僕の理由は簡単で一貫している。彼女達の勤勉さにしばしば心を打たれること。僕の母をとても大切にしてくれること。彼女達に日本の文化や素の日本人との交流を経験してもらう立場に僕しかいないこと。そして大企業のその会社がそれを許してくれていることだ。そして、その婦人たちが興味を持ったテーマ、「その費用は誰が出しているの?」の答えになるべく家族の協力があることだ。  何を思ったのか演奏が終わって席を立とうとしたら、そのおばさん達が握手をしてくれた。年齢を重ねると角が取れるのか、人との付き合いが簡単になる。今だからこそ手に入るものが、青年時代に入っていたらどれだけ人生が変わっていただろうと思うが、不自由の中でもがき苦しみ、やがて脱出して行くのが青春だったのかもしれない。