実情

 まだ二十歳くらいの女性が母親に「〇〇させてもらった。〇〇もさせてもらった。楽しかった」と嬉しそうに報告した。そのことを母親が教えてくれた。現代っ子なら、いや、世代を問わず「〇〇させられた。〇〇もさせられた」が一般的だろうが、その若い女性は「させてもらった」と言う表現を使った。母親相手だから、心の中を素直に表現していると思う。  さて問題は、この丸の中に何が当てはまるかだ。それによっては、評価が全く異なってくる。お嬢さんは介護の専門学校に通っていて、つい最近県北の施設で泊り込み研修をした。研修後帰ってから母親に報告した言葉は「ウンチやおしっこを換えさせてもらった。体位の変換もさせてもらった」だった。母親は単にお嬢さんの言葉を復唱しただけだが、僕には新鮮に響いた。「させてもらった?普通ならオムツを替えさせられた。体位変換もさせられただよ」とすぐに指摘すると母親も気がついたみたいで、「介護職が好きみたいですよ」と言った。「話も出来たって喜んでいましたよ。何を言っているか全然分からないそうですが」と、光景が浮かぶような内容も追加で教えてくれた。  何かと問題が多い介護の現場に入っていくに最も向いている人だろう。人手不足をいいことに、とても資格がない人間が押し寄せているのが現実だと思う。あたかも福祉の現場のように映りながら、実は巨利を生む箱くらいの感覚の異業種からの参入者が多いのが実情だ。金の山分けをもくろむ政治屋や役人や事業者が群がる箱の中で、志ある人たちが想いを全うできる場であって欲しいと思う。