三つ巴

 確かに悩ましい問題だ。ただ、今までの痴呆問題が総じて家庭内に留まっていたから、一気に噴出した痴呆老人の交通事故については意表を突かれた思いだろう。時期が同じくして起こった93歳の暴走ばあさんは問題外で、それ相応の刑事罰が必要だろう。刑務所に入っている間に恐らく寿命が尽きるだろうが、被害者や家族にとっては、情状酌量は受け入れがたいだろう。。任意保険に入っていたのか、支払い能力はあるのかなどと心配になる。  心配になるのは他人事ではないからだ。牛窓みたいに高齢者が多いところでは、高齢ドライバーは珍しくない。歩くことは出来なくても運転は出来る。そんな不思議な光景が日常茶飯事だ。そうした人が運転している車に跳ねられたら、目も当てられない。老人特有の温厚な表情と結果が結びつかずに、被害者は戸惑うだろう。責めるに責めれない、やり場のない怒りが被害者を襲うかもしれない。  年寄りは人生と同じように暴走しないという前提は交通の面より他の場面で既に崩れていた。殺人に、ストーカーに、万引きに、言いがかり。世に存在する犯罪の担い手としてはどれも除外できない。今までは、年寄りは性質の悪い政治屋に納まって合法的に巨悪を働いていたが、最近は小悪人が巷に反乱している。生活困窮が大きな原因だろうが、貧しくてもダメ、ぼけてもダメなら、毎日が緊張の連続だ。巨悪と、痴呆と、小悪人、三つ巴のとんでもない時代が始まった。