動機付け

 「忘れたいことは全部削除しました」  なんて面白い表現だと思った。これはパソコン画面の文章を消去したと言うことではない。自分の記憶の中から消し去ったと言う意味で用いた表現だ。削除という言葉を選んだのがなんとも現代的で、ユーモアに溢れていた。普通の人よりずいぶんと重いものを担いでいるはずなのに、笑顔は天下一品だ。その理由を僕は知らない。天性のものか、悟った人のものか、それより他に答えの候補すら知らない。  症状の点検はどのくらいの時間ですんだのだろう。その後は取り留めの無い話から、取り留めのある話まで多種におよび、1時間以上は話したと思う。帰った後で、白十字牛窓パンプキンがあったのを思い出し、出してあげればよかったと思うほど長い時間話した。10歳くらい年下の女性だから、10年位すれば僕くらいに色々なところが衰えてくると言う予習をしているようなものだろうが、僕が現実を正直に訴えるものだから希望は見えないだろう。それどころか後で考えれば僕の不調を聞いてもらったようなものだ。なかなかこうした話を人様にする機会は無く、モコの優しさが身にしみた昨今だが、本来なら口から出て行くことが無いだろうものが珍しく吐露できた。  「たくさん話してすっきりした」と言って帰ってくれたから、あながち僕の呟きが不快感を与えたのではないだろうが、本来聞く立場の人間があれだけ喋れば、普通の人ならしんどかっただろう。ただ彼女が負っている重荷(でも、当然御本人はそれを重荷などとは一切思っていない。むしろ頂いたものと幸せを感じている)からすれば、取るに足らない僕の嘆きなど、落ち葉1枚も吹き上げれない風ほどの価値も無いだろう。  彼女が席を立ったときに僕の口から出た言葉が「よっしゃ、がんばるか~」だった。それに気がついた彼女が笑っていたが、この年齢になると一番ありがたいのは、頑張るための動機付けなのかもしれない。あれだけ頑張ることが好きだった僕も、いまや動機付けが必要になった。