煤塵

 焼却場の高い煙突を中心に、スポーツジムや誘致された工場群が一つの区画を占めている。元は豊かな田んぼが広がる田園地帯だった。現在はその一角でどの位の人数が働いているのだろう。大きな工場がいくつも撤退した牛窓から見ればうらやまし・・・かったが。  そんな感想もその話を聞いたとたん一瞬にして吹き飛んだ。出来てからもうどのくらい経っているのだろう。もう10年は経っただろうか。焼却場のすぐ傍に住んでいるその家族は土着の人だから建設計画が沸き起こった頃からすべて知っている。これと言った反対運動も起きなかったらしい。よほど飴ばかり見せられたのか、お人よしかだ。ところが焼却場が出来てからとんでもない公害に苦しんでいる。それこそ煤塵(スス)が稼働中には降って来るのだそうだ。それも手で桟をぬぐえば黒くなるくらいに。あたかも雪の降り始めみたいらしい。と言うことはそれらを人間が吸っているってことだ。それが証拠に漢方相談に来た人も呼吸器の不調も訴えていた。  当然僕は「訴えたら!」と言うが、相談した複数の医者が「大事になる」と言ったらしい。それでその女性はそういった行動はとんでもないことと思ったらしくて、今は頭の中にまるで無い。家があるから引っ越すことは出来ないと諦めている。  傍から見ていたら羨ましいようなことでも、内実はそうでもないことは多いのだろう。その最たる例が原発で、飴の金額は桁外れだが、命の危険も桁外れだ。福島で経験したはずなのに、今又ぞろぞろと飴に働きアリ達が集まり始めている。こっけいで哀れだが、その飴をしゃぶる一部の人間の為に国中の働きアリ達が命を差し出すわけには行かない。尊厳を教わらなかった人たちの為に、尊厳を奪われるのは真っ平だ。