軒並み

 ニュースを見ていて分からないことばかりだった。分からないから僕の文章も正確ではないが、あまりにも疑問ばかりが浮かび上がってきたので、同じようにそのニュースを見ていた人と共感できるのではないかと思う。  田舎で暮らしていると、トルコなど遠くて遠い国だ。そんな国で行われる選挙に、日本在住の人たちが投票できるのだから、意外と近代国家なのかもしれない。ただ、その投票に集まった人たちが乱闘までしでかすのだから、血の気が多いのだろうか。見ていて乱闘慣れしているようにも見えたが。  まずトルコ人クルド人の見分けがつくのだろうか。僕にはさっぱり分からない。敵味方にどうやって分かれることが出来たのだろう。血が上っていても相手が分かるのだろうか。警察官が止めに入っても全く効果を上げていなかった。制止を振り切って又殴りかかっていた。どうして日本の警察官は止めることが出来なかったのだろう。彼らの多くは軍隊の経験があって、むしろ彼らのほうが屈強なのではないか。もし軍隊の経験があれば彼らは殺人の訓練を受けている人間ってことになる。乱闘など軽いものだ。そう言えば鼻や他の骨折を訴えていた人が多いから、結構効果的な暴力を振るっていたことになる。  インタビューを受けていた数人は、いずれも流暢な日本語を話していた。彼らはいったい日本で何をしている人なのだろう。何で生活の糧を得ているのだろう。あれだけ日本語が堪能ってことはずいぶんと日本暮らしが長いことを物語っている。いつどういった理由で来日できて、どういった理由で定住しているのだろう。  岡山教会では、数年前にベトナム人といえば10人にも満たなくて全員と親しく交流できていた。ところが最近は一気に人数が増えて、3桁に届こうとしている。もうこうなればお手上げで誰かと親しくなると言うのは難しい。と言うのは、彼らはもう日本人と交流しなくても自分たちのコミュニティーの中だけで暮らすことが出来るのだ。自国の言葉、習慣が許される空間を作り上げてしまっている。手の届かないところで群れをなしている集団だ。ただでさえ犯罪率の高い民族が、日本の社会から孤立して、日本の社会に存在できるようになると、僕はドロップアウトして行く人間が鼠算のように増えていくのではないかと危惧している。何処の国でもある〇〇タウンなどと言うものを既に作り始めているような気がする。  企業家達や政治屋達の思惑で、「軒並み」は許されまい。良質を如何に保つかが既に問われ始めている、いやもう遅いのかもしれない。