大成功

 大成功だった。今年一番の、いや、この数年で一番のドッキリが成功した。この種のことは大好きで、種明かしを1週間近く内緒にしておくのが唯一辛かった。  かの国の女性の、最後の思い出作りとして2週間前に〇〇に行き、そこでお世話になった女性にかの国の人たちがひどく感激して、別れを惜しんでいたのを僕は見ていた。そこで思いついたのが、原爆ドームを見たいと言っていたことを思い出して、おまけの思い出作りとして3人を広島に連れて行こうと、それも偶然〇〇の女性が同じ列車に乗り合わせたように仕組んで、一緒に旅を楽しんでもらおうと画策した。僕らが乗り込む新幹線に、〇〇の女性が既に乗っていたら、それをかの国の人達が見つけたら、どれくらい喜ぶだろうと思ったのだ。  あらかじめ1号車に乗ることは示し合わせていた。かの国の人達に女性を見つけてもらいたかったので、僕が最後に乗り込んだ。そして彼女達が女性を見つけたときの感動のシーンは、僕が想像していた以上に感動的だった。結構乗客はいたが、そんなこと気に留めずに大きな声で驚きの声をあげ、近寄るや否や抱きついた。  実は今日の広島旅行は僕の漢方薬の勉強会のついでに企画したものだが、勉強している2時間、かの国の女性だけにしておくことは出来なかった。そこで〇〇の女性の企画力に若干の期待もしていた。〇〇では完璧な案内をしてもらったから、その手腕に期待もしていた。案の定、途中下車して尾道の観光も楽しませてもらったし、広島市内の有名な庭園も楽しんでもらったらしいし(僕の勉強中)、お目当ての原爆ドームあたりの観光も楽しんでもらえた。  およそ半日一緒に過ごしてもらえたが、当事者同士はもとより、僕にも忘れられぬ思い出になった。分かり合えるって、大切にしあえるって、いたわりあえるって、とても素晴らしいものなんだと気づかされた。それがあれば、後のものなど枝葉末節に思えた。僕らが岡山駅で降りるために車内でのお別になったが、名残が尽きぬ雰囲気を見ていて、こみ上げてくるものがあったが、誰もがそれを見せないように懸命だった。〇〇へ向けてホームを離れる新幹線に向かって、初めて彼女達は涙を見せていた。「ニホンジンハ ワタシタチノコトヲワスレルガ ワタシタチハ3ネンカンノニホンノコトヲゼッタイワスレナイ」と通訳をしている女性が言ったが、〇〇の女性は「ゼッタイニワスレナイ」数少ない日本人になってくれた。僕からの、帰国する3人への最後のプレゼント。