映像

 爆弾が落ちる映像を見ない日はない。何人死んだか報道されない日がない。映像でしか想像できないが、いったいどのくらいの広さが一瞬のうちに破壊され、人間の何が残るのだろう。肉屋のショーウインドウに並べられている肉片くらいは残るのだろうか。骨付きの鶏肉くらいの骨片は残るのだろうか。それとも行方不明と数えられるように、何も残らないのだろうか。  実際の音を知らないからどのくらいの爆発音がするのか分からない。鼓膜を破るくらいの音なのだろうか。耳の後遺症が残るくらいの音なのだろうか。頭の症状が残るくらいの音なのだろうか。戦闘機やヘリコプター、戦車や砲撃の音、いったいどのくらいの音なのだろう。いわゆる想像を絶する音なのだろう。  一帯にどのような臭いが漂うのか知らない。死臭は小学生のときに、岩場で発見した真っ白にふやけた胴体だけの死体を発見したときに嗅いで、今でもはっきりと再現できる。あのときの臭いが町中を覆うのだろうか。あのときの臭いが衣服までしみこむのだろうか。  おびただしい殺人を犯しているのは、オバマプーチンやその他の国の支配者であり、それを支えている国会議員であり、それを飼っている企業屋どもだ。彼らには司法の手は伸びないのか。銃口は向けられないのか。貧乏な若者が、肉片と散ることを強いられて、年寄りが戦争で儲ける。戦闘機もヘリコプターも戦車もロケット弾も、銃口を向ける相手が間違っている。同じような田舎者同士が殺しあう必要はない。戦うことで何のメリットもない人間が、メリットだらけの人間のために命を捨てる必要はない。銃口はやつらにこそ向けるべきだ。