重鎮

 泊り掛けで過敏性腸症候群の相談に来てくれた方が、養老の滝のお土産を買ってきてくれた。東京辺りから岐阜県まで遊びに行くんだと思ったが、その発想は全国共通ではないことをその時初めて知った。と言うのは、その女性が訪れたと言う養老の滝が千葉県にあると言うのだ。最初聞いた時その女性が、例えばお酒に付けたネーミングをもって、養老の滝に行ったと言っているものだと思った。何か商品の名前を勘違いして地名と信じていると思ったのだ。ところが彼女は、商品名ではなく、確かにその滝の名前だと教えてくれた。僕ら岐阜県に一時でも関わった人間だったら、養老の滝といえば岐阜県のものと思っているが、よその土地にも同じ名前の滝があるとは考えもしなかった。  思い出したくもない大学時代は岐阜県のせいではない。金もやる気もなかったから、怠惰の極みみたいな5年間だった。何を迷ったのか、5年間のうちに生活圏から離れた所に出かけていったことが数回ある。その中の一回が養老の滝だ。ほとんど記憶になくて、単線の電車、かすかな滝の映像、それ以外何も覚えていない。それなのに、岐阜にある養老の滝のプライドを守ろうとするのは、思考が保守的になったのだろうか。  今では滝といえば岡山県の神庭の滝だが、さすが国産に拘って、ナニヤラの滝と言うアメリカの滝などは思い浮かばない。こうなれば僕も保守の文鎮だ。お習字の文鎮だ。桂文珍だ。