仮面

 肺炎が原因で急速に母の体力が落ちている。今日施設の医師から呼び出しを受け、母の容態やこれからのことについての説明をすると言われた。仕事中なので妻が行って説明を聞いてきた。その時に偶然兄が訪ねていっていたみたいで、兄、妻、いとこの3人が一度に母を見舞ったことになる。いつ最期を迎えてもおかしくないという状態なのに、今日の母は饒舌だったらしい。そして兄を見てとてもよい顔で笑っていたらしい。兄が誰であるかあたかも分かっているようだったと、いとこが電話で教えてくれた。帰ってからも妻が冗談半分に「お兄さんが訪ねると分かるみたいよ。お父さんには全然反応しないのにね」と言った。  傍にいた誰も気がつかなかったと思うが、実はその時僕は一瞬にして涙を浮かべたのだ。いつも気にかけていた兄が見舞いに来てくれたのが分かったのだ。実際僕は数回兄と間違えられている。僕の名前は決して口にはしないが、兄の名前は時に口から出ていた。戦後何もない時に生まれ育ったのだから、当時は多くの子供が色々なハンディーを背負った。まるで今僕がお世話しているかの国の人達のような疾患だ。栄養が悪いせいで起こる病気だ。兄もそのうちの1人だった。恐らくかなり気を使いながら育てたのだと思う。おかげで今は兄弟でダントツ元気だが、母はいつも気にかけていた。  息子が近に痴呆について講演するらしい。夕食時にポロポロとその話題が出てくるが、痴呆の方の、全ての記憶がなくなっているわけではない。昔の記憶は残っているのだから、失礼な態度をとってはいけないと看護師を指導しているらしい。確かに母は漢字のほとんどを読むことが出来る。仮面の下で、不憫な長男に責任を感じて、今もまだ母親をしているのだと思う。