経済

 何とか日付が変わらないうちに帰ってくることが出来たが、それは呼松太鼓が30分も公演が延びたからではない。公演のあと妻、次女、三女と倉敷のファミリーレストランで遅い夕食をとったのだが、二人の身の上話を聞いていて遅くなったのだ。  次女はナイーブな精神の持ち主なのに明るくて、誰にでも愛されるタイプだ。三女は僕が今まで会った女性の中で一番美人だと思う。別の意味で誰からも愛されそうだ。僕には僕のことをオトウサンと呼ぶ若者が数十人いるが、この2人ほど自然な感じの娘はいない。どんどん日本語の語彙が増えてゆっくり話すとかなり内容の濃い話もできるようになったことと、僕が職業的に人の話を引き出すのが得意なこともあって、2人が身の上話をしてくれた。ほとんど僕には初耳のことばかりだった。僕が偶然「〇〇の両親は離婚しているだろう」とジョークを飛ばしたことがきっかけで、「オトウサン ドウシテ ワカルノデスカ?」から始まり、延々と2時間、幼い時の境遇や心理状態を話し続けた。同じことが日本で起こった場合とは、問題となることが違うし、深刻さもまた違う。そしてその理由は圧倒的な貧しさだ。中学校を中退しなければならないような貧しさとは、日本ではどの程度なのだろう。そしてその中から学んだものの尊さこそが、二人の今の生き方の原動力になっている。  当時の話をするときに目を充血させて涙ぐむ次女、当時の不幸こそが日本留学などをかなえてくれたと感謝する三女。2人ともたくましく生きぬこうとしている人間には見えない穏やかさや優しさを兼ね備えているが、いつ底をつくか分からない経済の影がいつも2人の後を追っている。直接援助をすることははばかれるが、片やサーカスのピエロ、片や薄幸の美女にはしたくない。